日曜日, 4月 24, 2011

小原流・花の輪花展

▲イングリッシュガーデンの花展にぴったりの作品。


▲会場中央の大きな作品。枯れたセイタカアワダチソウの茎を使ったそうです。


▲風に誘われて出かけたら、この花展に出会いました。あす25日まで。


▲会場風景。

▲ブロッコリーが使われていましたよ。


▲二つの花器で一つの作品。


▲かわいい紙粘土の人形たちが迎えてくれました。こどもの日も近いですね。

金曜日, 4月 15, 2011

盛开/満開

             ▲松江城の南櫓(2001年復元)を望む。


松江地方は12日が満開宣言だった▼今年の花は見事だと聞く▼直前まで寒くて一気に咲く条件が良かったようだ▼鶴山はどうだったやら▼長男たちと大雪の除雪で始まった元旦▼慶弔が重なった2月▼大震災で二女たちが一時避難して来た3月▼所期の法事を済ませて迎えた4月も早や半ば▼来週には長女たちが久しぶりに来松する▼長男たちは念願の旅をする▼皆元気なのが何よりだ▼それもこれも周囲のお蔭▼きっと天からも見守ってくれている▼我が家の内外に幾多の出来事を抱えながら春は始動した。

土曜日, 4月 09, 2011

災害派遣活動

             ▲被災地で道路の構築を行う 出雲駐屯地の隊員
            ▲瓦礫の撤去作業を行う 同隊員

岩手・陸前高田市出身の知人の話を聞いた翌日、友人のブログで自衛隊員の「災害派遣活動展」が松江テルサで開かれている(10日まで)ことを知って見学した▼その陸前高田でも、発生直後に島根から派遣された隊員たちが瓦礫の撤去や道路を拓く作業に当たっている様子が紹介されていた▼この大震災では、被災地の救援、復旧に加えて原発の重大な事態で、隊員たちには非常なる覚悟を必要とする出動であったと思う▼これまで自衛隊の災害出動を当たり前のようには思っても、隊員たちの覚悟の程を思いやったことはなかった▼彼らの姿に、日本人が忘れかけていた「心」と「絆」を感じたのは私だけでないだろう▼活動の一枚一枚に敬意を持って拝見した。

木曜日, 4月 07, 2011

再会・・・陸前高田

感觉时间过的很快(時が経つのを早く感じる)、不知不觉中已经四个星期了(いつの間にか、もう4週間が経った)▼しかし、被災地の人々には長く、苦しい時間であろう。大震災発生から間もなく1カ月になる▼きょう、岩手出身の知人(松江在住)に久しぶり会った。発生直後、実家のある陸前高田市が壊滅状態と聞くも、両親と連絡も取れず、行くことも出来ず苦悶していた知人である▼以下は、彼女が興奮を抑えるように話した一端である◆……やっと先週、主人と一緒に自分たちの食糧とガソリンを積んだ車で、新潟経由で被災地に入ることが出来ました。故郷を見渡せる場所に来たとき、自分は「あぁーっ!」と声をあげました。主人も「あぁーっ!」としか言いませんでした。何が何やら、もうメチャクチャでした▼低地だったとこは地盤沈下で湖になったまま。それでも自衛隊のお蔭で瓦礫をかき分けられた道路だけが頼りでした▼実家は港に近いけれど高さ約10mの高台にあったのですが、それすら家は押し流され、庭には6隻もの船が座していました▼食器も家財も全部流されてしまって何もありません▼幸い両親と家族は無事でした▼更に高台へと這うようにして非難したそうですが、町の保育園へ子供を迎えに引き返した人たちは大津波に呑まれてしまったそうです▼発生から2週間を過ぎて再会できましたが、父は知人を通じて隣町の宿舎へ、体調不良の母は同じく施設へと、それぞれ別居させるしかありませんでした▼この町に再び住めるようになるのはいつでしょう▼今、家族には何にも残されていません▼どうやって働けばよいでしょう。出稼ぎに出るしかないでしょう……◆彼女はここまで話した後に、「命があって良かった、とは言っても…」と話を止めた▼5月に再度、現地の手伝いに行くという。野菜が欲しいそうだ▼私はお見舞いを言うしかなかったが、「皆さんの善意に感謝しています。必ず現地の家族に渡します」と応えてくれて少しホッとした▼皆で頑張ろう!