火曜日, 2月 26, 2008
土曜日, 2月 23, 2008
水曜日, 2月 20, 2008
如果有了一对翅膀···
(这张照片,拍照在九寨·黄龙机场上空)
『翼(つばさ)があれば…』
島根県にはチベット探検の先駆者がいた。東洋哲学者で登山家でもある能海寛(のうみ・ゆたか)。明治元年(1868)那賀郡金城に生まれ、「没年不詳」である。
島根県歴史人物事典(新報社刊)によれば、19歳で「チベット語大蔵経」を英訳し、チベット探検することを公表。明治31年(1898)神戸港を出港した。探検は大きく3回に分けられる。
1回目は、四川省からの「川藏公路」コースで、現在の康定市で旅行許可証を取得し、西藏へ向かうがチベット領内の巴塘の金沙江の辺りで足止めに遭い、引き返した。
2回目は、西安・蘭州経由で青海省からの「青藏公路」コースで、再びチベット領内に入るが、盗賊に遭い、重慶まで引き返す。
3回目は、雲南省からの「雲藏公路」コースで、明治34年(1901)、大理からの手紙を最後に音信を絶った。33歳の時だった。
最後の手紙には「今や極めて僅少(きんしょう)なる金力を以て、深く内地(西藏)に入らんとす」とあったという。また残されていたという次の一句に、私は痛く胸を打たれた。
「のぞめども 遥(はる)か深山(みやま)の金沙江、翼(つばさ)なくては 渡りえもせず」。
彼はこの間、民俗、風俗、習俗など61項目にわたる報告書、行程記録、旅行日記など多数を残していた。
あぁ!百年後の今、こうも簡単に飛んで、写真を撮って帰ることができる自分は、なんと幸せな、平和なことか、有難いことだ。
『翼(つばさ)があれば…』
島根県にはチベット探検の先駆者がいた。東洋哲学者で登山家でもある能海寛(のうみ・ゆたか)。明治元年(1868)那賀郡金城に生まれ、「没年不詳」である。
島根県歴史人物事典(新報社刊)によれば、19歳で「チベット語大蔵経」を英訳し、チベット探検することを公表。明治31年(1898)神戸港を出港した。探検は大きく3回に分けられる。
1回目は、四川省からの「川藏公路」コースで、現在の康定市で旅行許可証を取得し、西藏へ向かうがチベット領内の巴塘の金沙江の辺りで足止めに遭い、引き返した。
2回目は、西安・蘭州経由で青海省からの「青藏公路」コースで、再びチベット領内に入るが、盗賊に遭い、重慶まで引き返す。
3回目は、雲南省からの「雲藏公路」コースで、明治34年(1901)、大理からの手紙を最後に音信を絶った。33歳の時だった。
最後の手紙には「今や極めて僅少(きんしょう)なる金力を以て、深く内地(西藏)に入らんとす」とあったという。また残されていたという次の一句に、私は痛く胸を打たれた。
「のぞめども 遥(はる)か深山(みやま)の金沙江、翼(つばさ)なくては 渡りえもせず」。
彼はこの間、民俗、風俗、習俗など61項目にわたる報告書、行程記録、旅行日記など多数を残していた。
あぁ!百年後の今、こうも簡単に飛んで、写真を撮って帰ることができる自分は、なんと幸せな、平和なことか、有難いことだ。
火曜日, 2月 19, 2008
游牧民族的哥哥和妹妹
月曜日, 2月 18, 2008
日曜日, 2月 17, 2008
土曜日, 2月 16, 2008
雍布拉康 /ユンブ・ラカン (西藏自治区)
金曜日, 2月 15, 2008
水曜日, 2月 13, 2008
“中国人は赤(色)が好き”
【04年夏】成都の武候祠(ぶこうし)にて。
2月11日、松江中国語教室連盟の主催で市内4箇所の中国語講座の合同新年会が開かれました。
大勢の級友が参加して、合唱や演奏、中国詩の朗読や太極拳、ゲームなど多彩なプログラムで楽しいひと時を過ごし、中国出身の先生には「春節」をお祝いしました。 私は友人のお陰で連れ立って「吹口琴」(ハーモニカ演奏)しましたが、会場の皆さんにはお恥ずかしい限りでした。
また、みんなで中国語を楽しむ「中文大家乐(楽)」というミニコミ誌も創刊され、その中で先生の一人が「中国の旧正月」と題して、中国人の赤好きに興味深く触れておられました。
これは同教室連盟が年3回の発行予定で、中国や中国語学習の原稿を随時募集しています。あなたにもぜひ中国語への関心、応募をお勧めします。 以上、中国語の諸先生のお世話に感謝!
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