▲1951年新春(昭和26年)とある永井隆博士の「如己愛人」。
その年、5月1日朝に43歳で逝去。
私が生まれた年、昭和22年(1947年)5月3日に「日本国憲法」が施行。永井博士は病床で、特に第9条の条文に感涙されたという。
「これこそ、戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声だ。しかし、理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そして、その叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけられるかもしれない。そのときこそ、誠一よ、茅乃、たとい最後の二人になっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱり『戦争絶対反対』を叫び続け、叫びとおしておくれ! たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても、『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ!」 (1949年=昭和24年に刊行された『いとし子よ』から)
すでに博士は今日の憲法改正の動きを察知しておられたのか。その息子の誠一(まこと)さんは父の想いを著書「永井隆」(サン パウロ発行)に託して、また娘の茅乃(かやの)さんは今春、博士の生誕100年記念式典の前日に、いずれも早くして天に召された。
“最後の二人”がいなくなって、いよいよ博士の願いは空しいものになってしまうのか。
いや私も、そうはさせない。もっとはっきり憲法を守る友人だっている。
……私の生まれた年と憲法のことを考えた、今年の5月3日だった。
2 件のコメント:
mty様、素晴らしい文章をありがとうございます。読みながら、自然に涙していました。
日本国憲法を正しく守って行かなくてはと、改めて思いました。
雨伞sama:
每次,感谢您的共鸣。
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