月曜日, 7月 14, 2008

西藏探险家的家乡

能海寛が生まれ育った浄蓮寺。近くには、彼が別れに妻におくった“白木蓮”が大木となって残る▲

能海寛の像や遺品、資料など展示する土蔵の歴史民俗資料館▲
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西藏(チベット)探検家として知られる能海寛(のうみ・ゆたか)。結局は拉萨(ラサ)への入境を果たせぬまま、明治34年(1901年)34歳で行方を絶った。
彼の故郷(現・浜田市)金城町の波佐で13日、能海寛研究会の記念講演会があり、聴講した。
波佐文化協会の役員で活動を牽引する研究会事務局長の隅田(すみた)さんと初めてお会いしたが、二人で思わず「世の中、狭いですね」という話になった。
実は、私の中国語の先生が留学生の当時、この浄蓮寺に宿泊され、隅田さんが付近をよく案内されたという。島根にいながら、やっと能海の故郷のことを知った私。それより以前に当地を訪れていた中国出身の先生。また、その縁でこの度、私が地元の人と心安く知り合うことができて大変嬉しかった。
隅田さんは、100年以上も前に国際化を実践した能海を郷土の誇りとして「能海学」を研究され、熱心に資料館の展示を説明してくださった。
のどかな山村に、郷土の英雄を顕彰する人々の熱意を感じ、いささかきつい日帰りも心地よい帰路となった。

3 件のコメント:

H.B さんのコメント...

お疲れ様でした。いい研究会でしたね。有机会的话、我想故地重游、拜访老友。

匿名 さんのコメント...

世の中本当に狭いと思うことが私にもよくあります。(*^_^*)
なにはともあれ良い機会に恵まれましたね。ますます研究に励んでくださいね。

匿名 さんのコメント...

はは 行きましたか
奥さんもご一緒に
多方面から生きる糧を得ておられます