中国語の発音は、ローマ字で表音化した拼音(ピンイン)で表記される。
したがって『辛苦了』は、拼音では「xin ku le」、これを日本語のカタカナで読むならば「シン・クー・ラ」である。
日本語でも「辛苦」という言葉があって、「しんく」と発音する。
手元の広辞林(三省堂)によれば「苦しみ。難儀。心配」とある。
私たちより前の世代、かつて大戦中の国では「艱難辛苦(かんなんしんく)」と言うような言葉が使われたと聞く。苦しい現実がたくさんある今の世でも、「辛苦」という言葉は一般的には使われない、それほど重苦しい意味と響きを持つ。
中国語の『辛苦』は「苦労である」「骨が折れる」などの意味があり、講座が終わった時などに「ご苦労さま」「お疲れさま」という意味で「シン・クー・ラ」と挨拶して、お互いの労をねぎらう言葉である。
もともと日本と中国は漢字を母国語とする。
まさに『辛苦』などは発音も意味も日本語に似ている代表例であり、中国語を習い始めた頃は「漢字」から来る“感じ”で、中国語はなじみ易いと思ったのだが、やがて発音の難しさに苦労するところとなり、私にとっては、その壁が大きく立ちはだかったと実感したのが、きょう受験した中国語検定だった。
“完敗”の様相だが、却ってさっぱりした気分になった。
その壁を遥かに見上げている自分を、はっきり知ることが出来ただけでも受験した甲斐があった。
帰宅したら家族が「シン・クー・ラ」と迎えてくれた。
今や我が家の日常語になっているカタカナ語なのだが、ホッとすると同時に、きょうは、ハッと、この言葉の意味を振り返っていた。
そうだ、私など、まだまだ「辛苦」が足りないのだ。
壁の向こうに何としてでも行ってみたい。
また壁に向かうぞ。
月曜日, 6月 29, 2009
土曜日, 6月 27, 2009
火曜日, 6月 16, 2009
樱桃/さくらんぼ
▲我が家の小庭の紫陽花「隅田の花火」
▲映画「さくらんぼ 母ときた道」の案内誌から
…
映画と紫陽花は何の関係もありませんが、この子にも見せたくなって載せました。
☆
日中の共同制作による原題「樱桃」。
中国・雲南省の農村を舞台に、知的障害の母·樱桃(インタオ) の素直でありのままの愛を一心に受け、貧しくとも純真に生きる少女・紅紅(ホンホン)。 いつも母が採ってくれるさくらんぼを、ポケットいっぱいに抱えて食べる、その甘さは忘れることのできない母の優しい愛そのものでした。
☆
辛いほど悲しい映画でした。 しかし、人間はこんなにも純粋に強くなれるものかと、衝撃すら受けました。
それにしても、舞台の農村に広がる棚田(梯田)の美しいこと。それも鍬(くわ)で畦(あぜ)を切り、牛で田を鋤(す)き、手で田植えをする…この風景に郷愁も感じながらの素晴らしい作品。
県民会館名画劇場(一会員)での鑑賞でした。
日曜日, 6月 07, 2009
老家/いなか
好久不见了。时隔半个月,写博客。
一转眼,6月来了,一年已经过了一半了。
昨天,和家人一起去我的老家扫墓和观赏小竹百合,还有采摘梅子。
百合的叶子和小竹的叶子很相似,水灵灵的。
静静地开放,那花朵非常的芳香,可爱。
我们在这里种植了很多百合,作成花园,希望有朝一日让大家到这里来赏花。
一看到老家的风景,心情就舒畅了许多。
☆…★…
お久しぶり、半月ぶりに発信です。
あっと言う間に6月、もう今年も半分来ちゃったね。
昨日、家族で田舎に行って、墓参ついでに笹百合を愛で、また梅の実取りなどしたよ。
笹百合の葉は笹の葉にそっくりで、みずみずしく、
そこにそっと咲いた花は、とてもかぐわしく可愛い。
ここで笹百合を育て、百合園にして、いずれ皆に見に来てもらえるようにしたいと思っている。
田舎の風景を見ると心が和むね。
▲㊤笹百合(ササユリ)の花と蕾、葉っぱの形。
▲㊦田舎の棚田風景。
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