▲子供たちの売店コーナーでは“金魚すくい”も火曜日, 8月 02, 2011
木曜日, 7月 28, 2011
月曜日, 7月 25, 2011
東光台まつり

▲24日の日曜、自治会役員や各町内の皆さんの手で、団地入り口付近に、恒例の幟旗や提灯が飾られ、まつり当日まで毎晩、全戸で提灯が点灯されています。
☆この団地は県内でも最も古い大きな団地で約500世帯あり、高齢化の問題も多々ありますが、子供からお年寄りまで、皆で団地を盛り上げる象徴として、「東光台まつり」があります。
☆今年で34回を数える、市内でも“長寿”の団地まつりで、もちろん団地の年間最大の行事です。
☆7月29日夜に「子供みこし」と各町内の七夕の集い、
☆7月30日は会館広場で刃物とぎ、野菜市、バザー、売店、ビアホール等々、夕方からは舞台演芸を楽しみます。今年は東北民謡をメーンに被災地へのエールもおくります。
☆準備も片づけも大変ですが、皆が「住みよい団地」を目指すために一致団結して汗をかき、楽しみます。
☆時間のある方は是非お寄りください。
土曜日, 7月 09, 2011
梅雨が明けたら猛暑でした!
金曜日, 6月 17, 2011
火曜日, 6月 14, 2011
日曜日, 5月 29, 2011
土曜日, 5月 21, 2011
月曜日, 5月 09, 2011
土曜日, 5月 07, 2011
日曜日, 4月 24, 2011
金曜日, 4月 15, 2011
土曜日, 4月 09, 2011
災害派遣活動
▲被災地で道路の構築を行う 出雲駐屯地の隊員 岩手・陸前高田市出身の知人の話を聞いた翌日、友人のブログで自衛隊員の「災害派遣活動展」が松江テルサで開かれている(10日まで)ことを知って見学した▼その陸前高田でも、発生直後に島根から派遣された隊員たちが瓦礫の撤去や道路を拓く作業に当たっている様子が紹介されていた▼この大震災では、被災地の救援、復旧に加えて原発の重大な事態で、隊員たちには非常なる覚悟を必要とする出動であったと思う▼これまで自衛隊の災害出動を当たり前のようには思っても、隊員たちの覚悟の程を思いやったことはなかった▼彼らの姿に、日本人が忘れかけていた「心」と「絆」を感じたのは私だけでないだろう▼活動の一枚一枚に敬意を持って拝見した。
木曜日, 4月 07, 2011
再会・・・陸前高田
感觉时间过的很快(時が経つのを早く感じる)、不知不觉中已经四个星期了(いつの間にか、もう4週間が経った)▼しかし、被災地の人々には長く、苦しい時間であろう。大震災発生から間もなく1カ月になる▼きょう、岩手出身の知人(松江在住)に久しぶり会った。発生直後、実家のある陸前高田市が壊滅状態と聞くも、両親と連絡も取れず、行くことも出来ず苦悶していた知人である▼以下は、彼女が興奮を抑えるように話した一端である◆……やっと先週、主人と一緒に自分たちの食糧とガソリンを積んだ車で、新潟経由で被災地に入ることが出来ました。故郷を見渡せる場所に来たとき、自分は「あぁーっ!」と声をあげました。主人も「あぁーっ!」としか言いませんでした。何が何やら、もうメチャクチャでした▼低地だったとこは地盤沈下で湖になったまま。それでも自衛隊のお蔭で瓦礫をかき分けられた道路だけが頼りでした▼実家は港に近いけれど高さ約10mの高台にあったのですが、それすら家は押し流され、庭には6隻もの船が座していました▼食器も家財も全部流されてしまって何もありません▼幸い両親と家族は無事でした▼更に高台へと這うようにして非難したそうですが、町の保育園へ子供を迎えに引き返した人たちは大津波に呑まれてしまったそうです▼発生から2週間を過ぎて再会できましたが、父は知人を通じて隣町の宿舎へ、体調不良の母は同じく施設へと、それぞれ別居させるしかありませんでした▼この町に再び住めるようになるのはいつでしょう▼今、家族には何にも残されていません▼どうやって働けばよいでしょう。出稼ぎに出るしかないでしょう……◆彼女はここまで話した後に、「命があって良かった、とは言っても…」と話を止めた▼5月に再度、現地の手伝いに行くという。野菜が欲しいそうだ▼私はお見舞いを言うしかなかったが、「皆さんの善意に感謝しています。必ず現地の家族に渡します」と応えてくれて少しホッとした▼皆で頑張ろう!
木曜日, 3月 31, 2011
四十九日/七七日 尾原ダム
日曜日, 3月 20, 2011
日曜日, 3月 13, 2011
火曜日, 3月 08, 2011
月曜日, 3月 07, 2011
日曜日, 3月 06, 2011
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