水曜日, 9月 03, 2008

続・登山/海抜3,000m

▲3,000m付近の岩場。登り始めてから約4時間。
足取りは相当重くなって来たが、若い人は元気だったね。オ~イ!

▲8月14日午後4時25分。表示板が元気をくれた。
しかし、この後、本8合目の山小屋までの標高差400mを、まだ2時間かけて登る…
☆★☆
下界も涼しさを感じるようになったので、再び元気を出して、登山の様子をもう少し紹介します。

金曜日, 8月 29, 2008

夏の思い出=富士の思い出=完

▲ 2008年8月15日午前6時33分。陽も昇り、山梨県の山中湖(三日月形に見える)や雲海の向こうに丹沢山系、東京方面を望む。
これで、およそ3時間滞在した山頂に別れを告げ、本8合目の山小屋へ下山を始めた。

▲最高峰の剣ヶ峰(3,776m)から、ご来光の名所・大日岳(3,750m)に向かって見下ろす山頂の噴火口(直径600m、深さ200m)。
雪渓も何ヵ所かあった。
山頂に着いてから、更に剣ヶ峰を中心に、この噴火口の周囲を巡ることを“お鉢めぐり”という。約3km=1時間半の行程を、ご来光までの前半、暗闇で歩けたのはガイドのお陰にほかならない。
▲2008年6月8日午後5時17分。東京帰りの飛行機から見た
雲に隠れる山頂付近。
今、拡大して見れば、斜面にジグザグのラインがはっきり分かる。
このライン(登山道)を2ヵ月後に登ろうとは、感無量!

木曜日, 8月 28, 2008

影富士

頂上の最高地点に富士山測候所の旧建物が残っている。その展望台に恐々(こわごわ)上がった時、二度目の感嘆の声を上げた。
ご来光を背に見下ろす山々に見事な影富士が映し出されていた。
短時間で陰って来たのでホントに幸運だった。いま頂上に立っている山の姿を、これほど雄大に眺められる初めての不思議な気分と、優美な姿に魅せられて、もう寒さも疲れも忘れていた。

水曜日, 8月 27, 2008

富士登山

▲感動のご来光には雲も神秘的に映えて(海抜3,776mに立って)

▲富士の稜線から望む夕焼け。遥か下界に街の灯りが見える(海抜3,250mを超えて)

▲赤茶けた溶岩と砂礫(れき)の登山道は、8合目の山小屋が見える辺りは、ごつごつした岩場が続く。高度が3,000mに近づくにつれ息が苦しくなり、まだか、まだかと疲労感も増すばかり。酸素ボンベを携帯しているが、呼吸を整えながら一歩一歩進む(海抜3,000mを超えて)
ある者は遅ればせながら還暦を超えた記念に、またある者は誕生月8月のこの上ない記念に、また家族の絆の一端に…結果は全て良い思い出となったが、その行程にはホント辛抱しながらよく頑張った。


水曜日, 8月 20, 2008

富士山頂ご来光

平成20年8月15日午前4時57分。
日本最高峰・剣が峰(標高3,776m)から望む。
3年ぶりに家族6人揃って、皆初めて富士山頂に登った。
もう感動以外に語る言葉はない。ルート概略だけ記す。

14日午前7時半、東京の娘夫婦と合流して新宿を出発。山梨県側の「吉田口・河口湖口ルート」の5合目(2,305m)までバス到着。
午後0時40分、頼もしい現地ガイドにリードされ、6合目(2,390m)、7合目(2,700m)、ついに標高3,000mの看板を超えても、まだまだ。 初日終点の本8合目(3,400m)の山小屋に着いたのは午後6時40分。6時間かかって登った。
カレーの夕食後、服を着たまま4時間仮眠(後で聞けば実は皆、眠れなかったという)。

15日午前1時、防寒装備でも寒い中を頂上めざし出発。
夏のシーズンに1日1万人が登るという。真っ暗闇の登山道にヘッドランプの灯りが行列する様は実に壮観だ。
約2時間半後、頂上の神社に到着。更に噴火口の周りを巡って、急坂を登り最高地点にたどり着く。出発から約4時間後、幸いにも、ご来光を拝むことができた。

そして5合目に帰りついたのは午前11時20分。前日から、まる一日歩き続けた下山の足取りは相当に重かった。

金曜日, 8月 08, 2008

日本の夏・八月

▲浦上天主堂(5年前、訪れた時の不肖のデッサン)
昭和20年(1945)8月9日午前11時02分、長崎にピカッと光線が走った。 東洋一の規模を誇る赤レンガ造りの、この天主堂も一瞬にして破壊された。
永井博士の決意が受け継がれ、昭和37年(1962)、旧と同様に左右二つの鐘楼(高さ29m)がそびえる浦上カトリック教会が再建された。
正面にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の胸像がある。
昭和58年(1983)広島、長崎を訪れた教皇は世界に諭(さと)した。
「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」
博士の子息・誠一(まこと)さんは言った。
「日本の夏・八月は六と九で十五だ。忘れない広島・長崎・終戦の貴重な体験を」

8日夜、北京五輪が開幕した。中国の悠久の文化を強調し、花火を駆使した壮大な開会式の演出に、かの国が自由と平和を希求するものであると信じてテレビに向かった。

火曜日, 8月 05, 2008

做作业/宿題をする

きのう思わぬことから中国語訳の宿題まで仰せつかりましたので、
ジャガイモ料理の<中訳版>を試みます。
誤訳で味がまずくなるといけませんから、
疑問点はどうぞ指摘ください!

『グラタン・ドーフィノワ』(この文字は汉语に訳せないので、ご了承を)
【做菜用的材料】
[大蒜 两片] 「土豆儿 1公斤」 「牛奶 250毫升]
[黄油 10克] [盐 , 胡椒]

1,削土豆皮 然后 切成片 (不要放在水里浸)。
2,往锅里装入 牛奶和土豆片。
3,把锅做在火上,直到土豆片变一点儿柔软, 5,6分种地煮。 
4,火关了,在锅里加上零星大蒜,撒盐和胡椒。
5,准备 别的盘子(直径24厘米), 往盘子上涂黄油。
6,把煮的土豆片 并排 在盘子里。
7,用烤箱烤(210度) 这个盘子,需要30到40分种。
 ·····以上,明白了吗!? ふ~っ!

月曜日, 8月 04, 2008

グラタン・ドーフィノワ


ベルギー出身の娘婿に教わったジャガイモ料理を紹介します。
簡単でおいしい。友達からいただいたジャガイモで作ったので格安!
英会話の先生に「英語でレシピを」と宿題にされたので、英語でレシピに挑戦です。
(家内)

Ingredients(材料)
[2 garlic clove] [potatoes 1kg] [milk 250cc]
[butter 10g] [salt and pepper]
1.Peel potatoes and slice (don’t put into water)
2.Put milk and sliced potatoes into a pot
3.Cook for 5―6minutes until little soften
4.Stop cooking,add the minced garlic and add
 salt and pepper
5.Rub butter over the base and side of a gratin dish(24cm)
6.Arrange the sliced potates in the dish
7.Bake in the over(210℃)for 30―40 minutes

火曜日, 7月 29, 2008

北京奥运会即将开幕/もうすぐ北京オリンピック!

我所注目的比赛。 你呢?
☆★
我最喜欢的比赛是棒球(野球)。
棒球的发祥地是美国,但是,在日本棒球是作为“国民的运动”特别受欢迎。 星野带领的日本队一定能拿金牌。
★☆
垒球(ソフトボール)也是日本队的强项,但是,还没拿过金牌。
☆★
在游泳比赛(水泳競技)获得奖牌也是大有希望的。 比如说,蛙泳(平泳ぎ)的北岛,男子混合泳接力队(メドレーリレー)等。
★☆
柔道是日本的传统绝技。 现在世界各国都很强,但是,日本选手拿几块奖牌还是有希望的。特别是女子48公斤级的谷亮子已经拿过两块金牌,两块银牌。
我也希望她如愿以偿,即“成为妈妈还拿金牌”(「ママでも金」)。
☆★
乒乓球(卓球)是中国的传统绝技。在中国有很多很强的选手。
福原爱在中国也很受欢迎。小爱,加油!
★☆ 
在田径赛(陸上競技)把希望都寄托在链球(ハンマー投げ)的室伏广治,马拉松(マラソン)的野口みずき身上。我希望みずき能在两次奥运会上(雅典=アテネ,北京)连续拿金牌。 加油!
☆★
另外,岛根县松江市出生的锦织圭(网球=テニス), 摔跤(レスリング),足球(サッカー),排球(バレーボール)等等,也是很被注目的。
★☆
无论怎么说,本地的中国是最强的,在全部的比赛中以获得奖牌为目标。
加油!中国。日本,更要加油!  还有,我希望睦邻友好。

早上好!

今天早晨,在我院子里开花的日本天剑(昼顔=ひるがお)。
上星期去做CT扫描,这星期五再次接受胃镜检查。
仅仅身体检查,所以不必担心。
那么,下次再见。

土曜日, 7月 19, 2008

今天也非常闷热!

7月19日、在松江市的英国式花园,把柳树编成的塑像情侣。
她: 老公,今天也闷热! ( あなた,今日も暑いわね!)
他: 真的,今天天气很热! (ほんと、やれんなぁ!)
他: 这把阳伞不能顶用啊! (この傘じゃ、間に合わんな!)
她: 但是,两个人一起的话,我很幸福啊! 
            (でも二人一緒なら、とっても幸せよ!)

在我家小院子里,莲花开花了。


おーい皆元気か!7月18日朝、我が家の夏が来たぞ!
この2,3日の猛暑に誘われるように、一気に蓮の花芽が伸びたと思ったら、三つも来て、まず一輪開花した。
「中国蓮」の「即非蓮」という名前だそうで、花の直径は12㌢ほどの小ぶりだが、去年は全くダメだったから、2年ぶりの開花で、格別楽しんでいるよ。
この日は、団地の夏祭りを迎える各戸の提灯(ちょうちん)点灯も始まった。いよいよ盛夏の候、皆の健康を心から祈る!
祝你们身体健康。别苦夏了。

月曜日, 7月 14, 2008

西藏探险家的家乡

能海寛が生まれ育った浄蓮寺。近くには、彼が別れに妻におくった“白木蓮”が大木となって残る▲

能海寛の像や遺品、資料など展示する土蔵の歴史民俗資料館▲
 ☆
西藏(チベット)探検家として知られる能海寛(のうみ・ゆたか)。結局は拉萨(ラサ)への入境を果たせぬまま、明治34年(1901年)34歳で行方を絶った。
彼の故郷(現・浜田市)金城町の波佐で13日、能海寛研究会の記念講演会があり、聴講した。
波佐文化協会の役員で活動を牽引する研究会事務局長の隅田(すみた)さんと初めてお会いしたが、二人で思わず「世の中、狭いですね」という話になった。
実は、私の中国語の先生が留学生の当時、この浄蓮寺に宿泊され、隅田さんが付近をよく案内されたという。島根にいながら、やっと能海の故郷のことを知った私。それより以前に当地を訪れていた中国出身の先生。また、その縁でこの度、私が地元の人と心安く知り合うことができて大変嬉しかった。
隅田さんは、100年以上も前に国際化を実践した能海を郷土の誇りとして「能海学」を研究され、熱心に資料館の展示を説明してくださった。
のどかな山村に、郷土の英雄を顕彰する人々の熱意を感じ、いささかきつい日帰りも心地よい帰路となった。

金曜日, 7月 11, 2008

晚霞中的红蜻蜓/夕焼け小焼けの赤とんぼ

中文学习には「多听」(聴)「多说」(話)「多写」(書)「多读」(読)それに「多看」(見)だったかな?
これらを「たくさん」続けることが大切と教わりつつ、「读」と「写」は辞典を片手に、また「看」は大好きな中国电影を字幕を頼りに見ながら、それなりに理解はできるが、「听」と「说」は何年たっても難しい。
「楽しく学习を」と思って,身近な中文老師のブログの翻訳も試みるが、これがまた苦戦の連続で、“原作”には追いつかない。でも内容は興味深いものが多い…というわけで、勝手ながらこれからも随時、挑戦してみたい。但し、誤訳をお詫びして、ご指摘いただければ幸い。

 【心香のブログから】
 『晚霞中的红蜻蜓』
これまでずっと夕焼けの中の あなたを忘れたことはない
遊びに行った草原の夕日は 胸の奥深く
いつも少し傷心の 夢の中に あなたはいない
ただ見えるのは小さな赤とんぼの 行ったり来たり

一匹の赤とんぼ そっと あなたの窓に飛んで来た
あなたには 見えているのか 分からない

私の泪が一滴(ひとしずく) そっと琴線に落ちる
私の歌が 誰に聞こえているのか 分からない
・・・・
夢の中の赤とんぼ あなたはどこへ飛んで行きたいの
夕焼け小焼けに願いをかける
あなた 私の胸に停まって  私の胸に停まって。
☆ ★
恋しい夕焼け小焼けの赤とんぼ、いつも一番美しい時刻に現れ、
私の視線を引き付ける、
その美しさに ますます心を動かされ、その美しさはいっそう多彩にいろどられ、夢は ますます美しく、心は いっそう幸せになる。

水曜日, 7月 09, 2008

「絶美」続編 

【心香のブログからⅡ】
きょうは貴重な余暇があったので「雲南天堂」の本を読み終えました。読み終えた後、ますます急いでリュックを担いで遠くへ行きたいと思いました。その一つが元陽です。
元陽は「元阳哈尼梯田」~元陽ハニ(族)棚田~で有名。ここは典型的な立体地形で形成され、“山有多高、水有多高” “一山分四季、隔里不同天”と言われる独特な辺境の風景です。
しかも、ここには七つの少数民族が暮らし、彼らは大きな山と共存し、海抜の高低に従って分散居住していますから、ここでは各民族の風情を体験することができます。
中でも、市(いち)へ出かける日は、鮮やかで美しい少数民族の服装が街中にうねるのを見ることができます。
だから、元陽は以前から写真家の天国であり、ほとんど全ての棚田と村落が被写体にできるのです。
元陽の棚田の朝夕は、朝焼けと夕日が棚田を照らし、多数の棚田の光りと影が雲間から射し込む光に反射して、人を酔いしれさせます。
天と地がみな輝き、まるで夢の世界にいるような、人をしてハッと悟りの境地を感じさせます。
・・・
友人が言うのには、もし棚田を撮るなら毎年11月から4月の間です。当地は水稲一期作のため、6月に田植え、7月は青々として、10月は黄金色。冬に入ってからは田んぼに水を浸し、畦(あぜ)の線条がはっきりと見え、湾曲した輪郭も秩序立って、撮影には絶好の時機です。
また年末年始には、絶景の棚田の美景を撮るだけでなく、名物の「长龙宴」(長龍宴)を食べることもできますよ!

(以上、読んでるだけでも感動…)

火曜日, 7月 08, 2008

蝶恋花・・・

                      ▲岛根县云南市的春天

【心香のブログから】 密友婚礼有感(親友の結婚に寄せて)
花は蝶に恋し、蝶は花に恋する、
永久(とわ)に変わらぬ 愛のささやき、
滔滔(とうとう)と尽きない 人生行路を共に渡る。
親愛なるあなた ゆっくり飛んで
棘のあるバラに 気をつけて
親愛なるあなた しっかり口を開き
風に舞う花の香りに 酔いしれて
親愛なるあなたと 私は飛ぶ
林を抜けて 小川のせせらぎを見に行く
親愛なるダンスをしましょう
愛しい春の日は暮れないでしょう
私とあなたは離れることなく 軽やかに舞い
この世を飛び越え いつまでも寄り添う
一生あなたを追いかける
あなたへの愛に悔いはない
裏切ることのない 私の愛と あなたの美しさ
私とあなたは離れることなく 軽やかに舞い
この世を飛び越え いつまでも寄り添う
秋風が吹く頃になって 落ち葉が山となっても
あなたと一緒なら 萎(しお)れ果てても悔いはない

日曜日, 7月 06, 2008

燕子

好久不见了! 光阴似箭。今年已经过了一半儿了。
夏~っ!自宅の窓から蒸し暑~い空模様を見上げたら、電線にツバメの家族が数羽。
春の使者といわれるツバメも、青天井の下でヒナ鳥の飛行訓練を始めた様子で、餌はまだ親の世話。
おぼつかない“足取り”ながら、しっかり目を開き、顔より大きな口を開けて、“空中給餌”を受ける瞬間だった。

月曜日, 6月 30, 2008

茅の輪

6月30日は近所の神社の輪越(わごし)祭。茅の輪をくぐると、心身のけがれを払い除けられ、病魔に負けない力がもらえるという。いろいろ災いが多すぎるこの頃。仕事の帰りにお参りして来ました。
昨日、心香のブログに熱いメッセージが載りました。勝手ながら以下に日訳を転載します。

  【心香さんのブログから】
きょう(29日)松江の彩雲堂で、成功裏に第2回の四川大地震チャリティーコンサートが開かれました。
天気は悪く、朝からずっと、それも大雨が降る。こんな天気では、人が来てくれないのではないか?私たちは大変心配でした。
でも午後になると、予想外なことに、まだ公演時間にならないのに、会場にはもういっぱいの人が座っていました。2回目の公演の時には、あろうことか来賓の方でも立って鑑賞してもらわなければならない事態にまでなったのです。
これには出演スタッフ全員がとても感動させられました。
このチャリティー公演は、出演者のほかに、大変多くのボランティアの方々の各方面からの支援をいただきました。
特に、きょう私たちのために会場を提供してくださったのは、彩雲堂さんという、この地で有名な銘菓の製造販売のお店でした。
しかも彩雲堂さんは無償で会場を提供してくださっただけでなく、チャリティー公演の運営にも大きな努力を払ってくださり、さらにお店の職員さんも、この活動に積極的に協力いただきました。
本当に心から彩雲堂さんに感謝し、職員の皆さんに感謝します。

四川大地震発生以来、日本の友人たちに多くのご支援をいただきました。
日本の皆さんの行為に私たちは深く感動し、全ての善良な皆さんに心から感謝し、被災地の人々を気遣ってくださった全ての方々に感謝します。
皆さんからの思いやりによって、この世界は更に調和のとれた世界に変わることができると確信します。
皆さんのご厚情に報い、皆さんのために尽くし、皆さんから与えられた優しい心を、同じように皆さんに恩返しできるよう、感謝と恩義の心を大切にしたいと思います。
感動があり、感謝を知り、恩義を感じることができるからこそ、周囲の一切がすばらしく、自分と人との皆が幸福であることを感じています。

以上がブログの全文です。後半は特に恩返しを大切にしたいという気持ちが綴られていました。
彩雲堂さんにも是非この気持ちが伝わると良いですね!

金曜日, 6月 20, 2008

笹百合(ササユリ)

我的家乡是岛根县的云南市,在那里我拍照这枝花儿(08·6·14)
日语叫“笹百合”。用汉语怎么说呢? 在中国有没有?
葉が笹(ササ)に似ていることから笹百合と呼ばれ、別名は小百合。
もう、そんな名前を聞くだけで惚れてしまうが、山中にハッと振り向かせる、可憐で、かぐわしい姿に出会うと、なんとも愛おしくなる。
「あなたが来るのが待ち遠しかった」と言っているようだ(!?)
でも彼女たちは、こっちの休日に合わせてはくれないので、行っても会えないことが多いし、以前は盗掘らしいことも多々あって、がっかりさせることが多かった。
この日、この夏初めて出会うことができた。
今は在郷の友人が世話をしてくれて、あるがままに広く自生しようとしている様子が嬉しかった。

木曜日, 6月 19, 2008

妈妈,不哭/お母さん、泣かないで

▲チャリティーコンサートでは、このようなハープを個人で持っているのは山陰では唯一という音楽家の美しい音色を眼前で聴くこともできた。スクリーンには少数民族の親子の姿も映し出された(08・6・15)
12日の「心香」さんのブログで「これは訳したい」と思った詩が紹介された。コンサートの日、朗読された詩でもあった。そのブログを日訳転載させていただく…。
『涙を飲んで、私たちの暮らしを続けよう』
2008年5月12日午後2時28分、この場を突如として襲った災難に、私たちは、大切にすることを学ぶ多くのことを教えられた――お互いに助け合うことで、生命(いのち)は更に貴いものになり、崩れない信念のもとで、心の窮地に向かうことができる――どんな困難にも負けないで、私たちの暮らしを続けよう! 私たちの素晴らしい未来を再建しよう!
しっかり生きる、それが亡くなった人々への一番の慰めになるのだ!
『お母さん、泣かないで!』
わが子よ、早く!母さんの手に、つかまって。
天国への道はとても暗い。母さんはおまえが心配だ。頭がぶつかる。早く!母さんの手に、しっかりつかまって。母さんはおまえと一緒に行くよ。
母さん、怖い!天国の道は真っ暗。ボクは母さんの手が見えない。倒れた壁が光を奪い、二度と母さんの愛しい瞳を見ることができない。
わが子よ、行きなさい!前の道を、二度と心配ないよう。どうか母さんと父さんの顔を忘れないで。来世は、また一緒に歩こうね。
母さん、心配しないで。天国の道は少し込み合って、たくさんの友達がいるよ。母さん、もう泣かないで。涙はボクの行く道を照らさない。ボクたちは自分でゆっくり行くよ。
母さん、ボクは母さんと父さんの顔を忘れない。
私たちの約束を忘れない―来世で一緒に歩くことを。
 

月曜日, 6月 16, 2008

赈灾义演/被災者救援チャリティー

四川大地震で被災した子供達を支援しようと、島根と海外の交流活動を主催する会「こんにち輪」と松江中国語教室連盟の主催で、チャリティーコンサート(赈灾义演)が15日午後、城東公民館で開かれた。
中国出身の皆さん達の合唱、犠牲者への黙祷に続いて、国際交流員で来松中の女性が大地震の概況を報告。この中で彼女は、震源地の「汶川」の文字を合わせると「済」の字になるとして、各国からの救済への支援を感謝すると同時に、岩手・宮城で起きた地震被災をも気遣い、どちらにも一日も早い復興救援を願った。私は改めて両国が漢字を共通する国であることや、漢字の意味に託す想いに親近感を感じた。
この後、ソプラノ(女高音)、ヴァイオリン(小堤琴)、ピアノ(鋼琴)、ハープ(竪琴)、フルート(長笛)の6人の音楽家の皆さんが熱演を続け、参加した多くの人たちに交流と支援の「輪」と「和」を広げた。入場料は全額義援金として汶川大地震孤児救助専用基金に贈られる。

金曜日, 6月 13, 2008

矢切の渡し

柴又帝釈天からちょっと歩を延ばすと江戸川。寅さんが遊んだ土手から見下ろす河川敷には、見渡すところ10数面の野球場、サッカー場やフリーな広場が広がり、人々がプレーや散策を楽しんでいる。その向こうに渡しがみえる。河岸も桟橋も素朴そのもの。こっちは葛飾区、向こうは千葉県松戸市。我が家の近くの矢田の渡しよりも自然な風景が、大東京の一角にあった。
天気も暑過ぎず、翌日、秋葉原で惨劇が起きることなど想像もできない穏やかなひと時だった。

水曜日, 6月 11, 2008

小岩菖蒲園

今度の東京では、案内されるままに江戸の名残りを歩くことができた。
柴又帝釈天に近い江戸川沿いの小岩菖蒲園では「菖蒲祭り」の真っ最中。園内には地元の人たちが露店のテントを並べ、日曜を憩う家族連れやカメラの人たちで賑わっていた。
大都会にも“地方”が感じられ、近くの鉄橋を成田に結ぶ京成線がひっきりなし通過する騒音も、さほど気にならなかった。
以前、woさんのブログで見た「アヤメは網目状」「花菖蒲(ショウブ)は黄色の目」「カキツバタは白の目」という花の模様を「なるほど」と思いながら鑑賞した。
ここでは葉の特色を紹介していたが、woさんの説のほうが大変分かりやすいと思った。

火曜日, 6月 10, 2008

富士は

08.6.8午後5時過ぎ。東京からの帰り。富士山上空。雲海の中からひとり抜きん出た姿は、まさに日本一。ぜひ登ってみようね!

水曜日, 6月 04, 2008

旅の思い出

突然ながら舞台は南フランスのポンデュガール(pont du gard)。フランス語の響きは可愛らしいけれども、ガルドン川(gardon) に架かる橋という意味。しかし、これが紀元後まもない、2000年も前に建造された古代ローマの水道橋で、高さ約50m。50km離れた町と町を結んだ水道の一部と聞けば、その技術に驚くほかない。アヴィニョンの郊外にある世界遺産である。
05年8月、縁あって彼の地を旅した。その翌年には中国の九寨沟を訪ねた。それらの地に共通しているのは人工物であれ、自然景観であれ、壮大かつ広大なものであり、人の力、自然の大きさであった。
その自然は、今まさに大地震に台風と、戦争を除いては、今の我々には考えられない壊滅的な被害をもたらしている。
そうでなくても、人は地球環境を急速に破壊に向かわせている。今から2000年後の人々は“遺跡見物”など出来ているだろうか、と思う…



火曜日, 6月 03, 2008

出雲街道の祝言

ここは米子から姫路へ抜ける旧出雲街道の勝山(岡山県)。かつて勝山藩のあった城下町で、松江藩の殿様が参勤交代で往来し、今では旧街道を生かした街づくりを進めている町だ。写真クラブの撮影旅行で行った5月24日、幸運にも本物の祝言が、この瓦屋根のお屋敷であり、人力車で披露宴会場に向かう光景に出くわした。突然のカメラの放列にもにこやかに笑みを返してくれたお二人さん。この光景だけは何度見てもいいものだ。ちなみに車夫は、ここの町おこしで有名な松本さんという御仁だ。
光阴似箭! もう6月。「ジューンブライド」は特に幸福になれるとも。
多くの人に、いいことがいっぱいあるといいなぁ。
みんな頑張れ。大家加油啊!

金曜日, 5月 30, 2008

故郷の美田

故郷の田んぼ。田植えの終わった今が一番「美田」に感じる。農作業は大変なこととしか思わなかった子供の頃。その故郷の暮らしを離れて随分と過ぎた今、田んぼの風景を見ると落ち着く。だが、この田んぼも近い将来どうなるか分からない。故郷で頑張った連中も皆年取った。もちろん、私に田んぼが出来るわけはない。そう思うと寂しい。しかし寂しいと思うほどに風景が懐かしく、見ると落ち着く。もう一度故郷の我が家で暮らしてみたいなどと 思う。

日曜日, 5月 25, 2008

バラ園のある病院

きょうは今月初めて何の予定も入っていない休日だった。
久しぶりに老母と老義母を、それぞれ入院中の病院に見舞った。
母は、かすかにしてくれた返事も今は反応きわめて弱くなり、義母は、意識不明で最悪を覚悟した時から3カ月経って、実娘である家内の呼びかけには、うなづくまでに驚異的な回復をしたが、二人ともモノ言わず寝たきり状態。生きることは大変なことだと、いつも思う。
母の入る病院の前庭にはバラ園がある。近所の男性が丹精されているたくさんのバラで、車椅子で散策の患者さんたちに好評のようだが、バラを見ることのできない寝たきり患者も大変多い。
いつもながら病院の皆さんの日ごろのお世話に感謝した。

金曜日, 5月 23, 2008

感谢对大家的善意

在文化中心举办的中文班交流会的时侯,为四川大地震灾民支援,参加人们募捐了。 捐款总额是达到2万日元。对大家的善意,我表示衷心感谢。23号,把捐款寄托给报社的捐款窗口。
文化教室中国語講座と交流の集いで、四川大地震の被災者救援のため、参加した人たちが義援金を募金した。総額は2万円にもなった。皆さんの善意に、心から感謝する。
23日、義援金を新報社の窓口に寄託した。

火曜日, 5月 20, 2008

我的奥林匹克/ボクの五輪

このところ話題から少し遠のいたが、聖火リレーが騒がしい頃、我が家のタンスから取り出した。
「TOKYO 1964」の胸マークを、ただのグンゼの下着に縫い付けただけ。当時はこれで立派なユニホームだったのか。
僕はロードレースでは速いほうだった。弟はもっと速かった。その兄弟そろって聖火リレーの伴走チームに選ばれた。もちろんトーチを持つ主役は陸上部や運動部の主力選手たちで、ボクらはゾロゾロ後について伴走するだけだった。それでも僕にとっては、タンスに残す「僕のオリンピック」となった。
それから44年も過ぎて、だいぶ色あせてシワっぽくなっているが、17歳の感動は残っていた。

日曜日, 5月 18, 2008

中国語講座を囲む交流の集い

中国への知識と中国語への関心を高めてもらおうと、 山陰中央新報文化教室の中国語講座の受講生と中国旅行をした皆さんたちの集いが17日開かれ、21人が参加して有意義なひと時を過ごした。
「写真家」「版画家」「留学経験の受講生」の3人が、数々の写真やスクリーンで、民族の風物や人物あるいは交流、留学体験など、それぞれの特色を生かして中国での様子を発表。本当に良い組み合わせの発表であり、また別の受講生から中国語で旅の感想も出るなど、参加者一同に旅行や留学への想いを更に募らせた。
この集いを計画後に四川大地震が発生したため急遽、黙祷と義援金箱を設定。松江で中国語講師を務める中国出身の二人の先生とお子さんも一緒に、母国の犠牲者の冥福と一日も早い救助、復興を願う集いともなった。私は講座を囲む交流の輪が、中国の友人たちを励まし復興の一助となる交流の輪になって欲しいと願った。
なお募金箱は、参加できなかった皆さんにも今週の講座でお願いした後、新聞社の義援金窓口に寄託する。皆さんのご協力に心から感謝!

水曜日, 5月 14, 2008

天崩地裂Ⅱ

▲成都市郊外の杜甫草堂(とほそうどう)。唐の詩人・杜甫の旧居で、園内には梅林や竹林の中に渓流が走る閑静なたたずまい(04.8)。

震源の汶川(ぶんせん)への道路は断絶され6万人と連絡取れず、歴史的な水路で世界遺産の都江堰(とこうえん)も跡形なく、何千人かの犠牲者を出した绵竹(めんちく)や、北川(ほくせん)チャン族自治県の壊滅的な住居の映像……報道の度に増える犠牲者の数と惨状。そこから更に北東の青川(せいせん)にかけての300公里(km)に及ぶ断層が動いたという、凄まじい破壊力。
地図で、いずれも成都の北方に位置する、これらの地域の更に北方を見やれば九寨沟がある。
それにしても過去2度、旅行で経由したことのある成都を、このような形で思い出すことになろうとは。
とにかく一日も早い救助、復旧を願い、山陰中央新報も明日15日から被災地への義援金を募ります。日本赤十字社を通じて救援活動におくります。ご協力願えれば幸いです。

月曜日, 5月 12, 2008

天崩地裂/天変地異

▲四川省の成都で車中から見た日本企業の一つ、イトーヨーカドー(04.8)

連休後半と同時に準備・本番に追われた写真展も、きょう夕方の作品撤収で概ね無事終了した。連休後も休暇をとっていた私は、きょうの月曜日はもう仕事を休めず、久しぶりに仕事を処理した。
この間、ニュースを詳しく見聞する余裕もなかったが、中国の胡锦涛主席来日という国家的な動きのほかに、ミャンマーではサイクロン被害による何万人もという驚愕の犠牲者が出た様子、さらにきょうは中国でも四川省の西北西90公里にある「汶川县」付近を震源とする大地震が発生。400公里離れた重慶でも小学校の倒壊による犠牲者の報など続々。
「汶川」は九寨沟に通じるルートの途中にある。もしやと思って老師に電話したら、九寨沟は無事な様子だと。少し安堵。
成都と重慶には日本企業も多い。イトーヨーカドー、伊勢丹、トヨタほか(成都)、ホンダ、スズキ、マツダ、いすゞほか(重慶)。
胡主席の来日で「未来志向で日中両国関係を更に推進する」ことが約された。これはこれで大いに歓迎したい。
それにしても自然の脅威は凄まじい。ミャンマーなどは不安と不満も募る軍政下での大災害で“人災”との声も出る。・・・被災犠牲者の冥福を祈るばかりである。

日曜日, 5月 11, 2008

第2回しまね写真展

県立美術館で開催中の「第2回しまね写真展」は、初回の昨年を上回る209点の応募と、主催の県写連の会員作品展を併せて計247点を展示。毎日多くの来場で盛会です。
遠くは北海道から応募してくれた友人、講座のみなさん、知り合いの連中、等々いろいろな形で応募してくれた皆さんに感謝します。
さらに、会場に来てくれた皆さん、しかも何度も来てくださる方もあり、感謝しています。
連日の会場当番も嬉しい気持ちで充実しています。
取り急ぎ、お礼かたがた報告まで。
なお明日までです。まだの方はぜひ一度!

日曜日, 5月 04, 2008

憲法9条と永井博士

▲1951年新春(昭和26年)とある永井隆博士の「如己愛人」。
その年、5月1日朝に43歳で逝去。

私が生まれた年、昭和22年(1947年)5月3日に「日本国憲法」が施行。永井博士は病床で、特に第9条の条文に感涙されたという。
 「これこそ、戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声だ。しかし、理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そして、その叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけられるかもしれない。そのときこそ、誠一よ、茅乃、たとい最後の二人になっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱり『戦争絶対反対』を叫び続け、叫びとおしておくれ! たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても、『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ!」 (1949年=昭和24年に刊行された『いとし子よ』から)
 すでに博士は今日の憲法改正の動きを察知しておられたのか。その息子の誠一(まこと)さんは父の想いを著書「永井隆」(サン パウロ発行)に託して、また娘の茅乃(かやの)さんは今春、博士の生誕100年記念式典の前日に、いずれも早くして天に召された。
“最後の二人”がいなくなって、いよいよ博士の願いは空しいものになってしまうのか。
いや私も、そうはさせない。もっとはっきり憲法を守る友人だっている。
……私の生まれた年と憲法のことを考えた、今年の5月3日だった。

水曜日, 4月 23, 2008

門戸開放

▲自家の枝垂桜見物に来る人に、自宅の門を開放した加茂町のお宅。庭から門越しに見る樹形は、また見事だった(4月6日)

久しぶり更新です。花見も終わり、次は「飛び出せ!野に山に」新緑シーズンですね。
ところで、woさんの“愛国心”の問いかけに直ぐに書き込みしたかったのですが、難しくて失礼しました。このテーマはご存知T先生が一貫しておられ、私も何度かお話を聞きながら、私なりに考えてみますが、国が国民のためにあるのなら国=国民、つまり愛国心=愛国民心ということになるのかというと、そうではないのですね。
もっと歴史を学ばないといけませんが、最近の映画でも“愛国心”とは何かの一端を伺うことが出来ます。「母べえ」は、平穏な一家の主人が“国賊”として留置され獄死、残された母子が我慢に我慢で寄り添って生きる。やがて“一億総玉砕”へと高(こう)じた時代です。
アメリカ映画「大いなる野望」は、ダウンタウンの黒人とメキシコ系の学生が、米国が戦争に勝てば差別社会をなくせると信じて、イラク戦争に志願し、悲しい結末を迎える現代のストーリー。
いずれも同じ国民庶民が、結局は自分たちの意志と違う現実の下で悲劇を迎えるのです。
で、“愛国心”とはいったい何か、私はまだ説明できません。
「国を愛することがイコール国民を愛することにならない」というところまでが私の理解です。

火曜日, 4月 15, 2008

山里の春

4月13日。 この春は2週続けて島根の雲南へ行楽する機会に恵まれました。その行程の一番最後に、初めて見る風景でした。これぞ「山里の春~」…しばし見とれました。

木曜日, 4月 10, 2008

花街道

花見どきが一カ月もあったら感動しないだろう。短い命だからこそボンボリや花見の宴で思いっきり賑やかに見るのが良い。また、この土手のように何の飾りもないのが良い。どちらの花も一所懸命きれいに咲いてみせるのに、人間はどうして争いごとばかりするのだろうか…。

火曜日, 4月 08, 2008

松江の武者行列

4月5日。城山の桜まつりもたけなわ、開府四百年祭の一つ武者行列が法螺貝隊を先頭に殿町を行く。じっくり見たのは今年が初めて。そこで気が付いたのは皆、極めて真剣な表情であること。草鞋(わらじ)の足並みも粛々と揃っていた。 ちなみに、その昔の堀尾公の入城の再現です。皆さんお疲れさま。

日曜日, 4月 06, 2008

お花見サンデー!島根の雲南

▲加茂町の「段部のしだれ桜」。樹齢340年。同町の天然記念物。屋号「段部」さんが大切に保存されている。 ▲木次の桜トンネル。
▲“花より団子”の席もいっぱいでした。
暑いほどの上天気となった6日、講座仲間の5人で雲南市に桜見物しました。ここに来るのは3人が初めて。加茂、木次の桜から三刀屋の永井隆記念館を見学、全員が「平和を」の願いを墨書したあと、博士の生い立ちの家から斐伊川へ回り、土手の桜を見ながら上流部に向かい、尾原ダムの工事現場を見学、帰りに斐伊川和紙へ立ち寄りました。我が故郷への関心を持っていただいた仲間に感謝!


木曜日, 4月 03, 2008

春天的和歌

▲斐伊川土手のボンボリを飾らない桜並木。映画「うん・何?」にも、この角度で登場しますよ。

☆ きょうの中文講座は春にちなんだ漢詩をきっかけに、和歌の中訳を試みることになりました。枕詞は訳し難く、詩の調子にするのは難しかったのですが、皆さんそれぞれに苦心の作。面白かったです。
 元の歌は、Iさんが見つけた「古今集を代表する春の歌」ともいわれる紀友則の歌です。
 『ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ』 
 (春の日はのどかなのに、花はなぜせわしなく散るのだろうか)

これを皆さん次のように汉语で詠んでみました。
【Kさん】 春天这么悠闲宁静  樱花怎么也匆匆散落
【Yさん】 春天睛朗的天气  却为什么匆匆忙忙的要花落
【KTさん】 在温和的春光里  花谢票零为什么那样匆忙
【わたし】 春天和煦的一天  花落为何太匆匆
【老师】 春光和暖  大地安详  为何花落 行匆匆

そして【Iさん】はちょっと長めにキメられました。
暮春三月 山花烂漫 樱花也盛开 美丽纷纷 
一个和暖的春天。
虽然天气晴朗 没有春风 可是 樱花花瓣纷纷飘落。
怎么那么快凋谢了。 (它不了解人家的心情)

火曜日, 4月 01, 2008

丝绸之路(シルクロード)を西へ!

            ▲中国の西端まで旅を重ねた画家本人

       ▲喀什(ka shen )カシュガルの街で(2作品の一部)

           ▲見覚えのある西安とラサの名所も
好久不見了。ブログにも、この画家にも久しぶりです。
光阴似箭。もう4月。またいろいろ始まる季節。
 この画家は4年ぶりの個展をきょうから開いています。中国語教室の仲間でもあった彼とは、お互いに中文や中国への強い関心を共有する朋友ですが、彼の実行力には感心するばかり。
 単身、シルクロードの中国の西端まで旅した彼は言います。
 「ここ中東に続く西域には、まだ人々の素朴な営みがある。しかし、その街は凄まじい速さで現代都市に姿を変えている。“胡人”の光あふれる表情、心の彩りは普遍であって欲しい」と。私には共感できます。
 彼の初個展は裸婦ばかりで、いささかくたびれ?ましたが、今回は遥か新疆维吾尔自治区(しんきょうウイグル自治区)を中心とした民族と風土に溶け込もうとする彼の想いが感じられます。
ぜひ鑑賞ください。7日まで、松江市殿町のタウンプラザしまねです。