木曜日, 12月 24, 2009
木曜日, 12月 17, 2009
北京の52日(完)
▲世界最大の四合院という“恭王府”の裏通りを行く観光三輪車
(10月5日)
月日の経過は本当に早い。帰国してもう2カ月が過ぎました。
当地も今日は冷え込み、明日は大雪との予報も。
暑い頃に撮った北京の系列(シリーズ)は、ひとまず結束(終了)します。
当初は心配した北京の生活も、今では全てがとても懐かしいです。
私は今回のことを通して、この国との善隣友好が大事であるという思いを一層強くしました。また必ず行きたいと思っています。
そのためには新年も頑張らないといけません。
我必須在会話水平上尽快提高。
ここまで指導くださった教室の先生、教室を支えていただいた級友に心から感謝します。
また、ブログを見てくださる方が少なからずおられることも知り、喜んでいます。中国語を一緒に勉強したい方があれば、ぜひ声をお寄せください。
(10月5日)
月日の経過は本当に早い。帰国してもう2カ月が過ぎました。
当地も今日は冷え込み、明日は大雪との予報も。
暑い頃に撮った北京の系列(シリーズ)は、ひとまず結束(終了)します。
当初は心配した北京の生活も、今では全てがとても懐かしいです。
私は今回のことを通して、この国との善隣友好が大事であるという思いを一層強くしました。また必ず行きたいと思っています。
そのためには新年も頑張らないといけません。
我必須在会話水平上尽快提高。
ここまで指導くださった教室の先生、教室を支えていただいた級友に心から感謝します。
また、ブログを見てくださる方が少なからずおられることも知り、喜んでいます。中国語を一緒に勉強したい方があれば、ぜひ声をお寄せください。
水曜日, 12月 16, 2009
水曜日, 12月 09, 2009
北京の52日 ⑳天安门
火曜日, 12月 08, 2009
北京の52日 ⑲ 前门/ぜんもん
火曜日, 12月 01, 2009
光阴似箭/光陰矢の如し
このところ自らの中検受験や、元同僚夫人のご不幸などで落ち着かない日が続き、発信も中休みしているうちに、もう12月になった。
ご不幸というのが実に悲しい出来事だった。
これまで病気らしいこともなく、その日の朝も元気。それなのに、なんと彼が仕事で出かけた午後、急に体調を崩し、帰らぬ人となった。
娘さんと息子さんは独立し、午前中にも携帯やメールでやりとりしたばかりだったという。
つい先日は姉妹の夫婦連れで、楽しみにしていた高野山参りをして来たばかりだったという。
そのスナップ写真が遺影となって微笑みかける。誰も嗚咽(おえつ)をとめることが出来なかった。
彼も定年となり「これから一緒に少しゆっくり暮らしたいと思っていた矢先だった」と語る言葉に無念さがにじむ。
私たち夫婦とも同年、まだまだ早すぎる人生だった。
誰の身にも、時は、いつ、どういう形で来るか分からない。そう思いながら通夜の帰路に着いた。
心からご冥福を祈ります。
合掌。
ご不幸というのが実に悲しい出来事だった。
これまで病気らしいこともなく、その日の朝も元気。それなのに、なんと彼が仕事で出かけた午後、急に体調を崩し、帰らぬ人となった。
娘さんと息子さんは独立し、午前中にも携帯やメールでやりとりしたばかりだったという。
つい先日は姉妹の夫婦連れで、楽しみにしていた高野山参りをして来たばかりだったという。
そのスナップ写真が遺影となって微笑みかける。誰も嗚咽(おえつ)をとめることが出来なかった。
彼も定年となり「これから一緒に少しゆっくり暮らしたいと思っていた矢先だった」と語る言葉に無念さがにじむ。
私たち夫婦とも同年、まだまだ早すぎる人生だった。
誰の身にも、時は、いつ、どういう形で来るか分からない。そう思いながら通夜の帰路に着いた。
心からご冥福を祈ります。
合掌。
火曜日, 11月 17, 2009
⑱ 宝宝 bao bao
月曜日, 11月 16, 2009
北京の52日 ⑰ 交流 jiao liu
▲登山道で出会った人々(9月27日)
司馬台長城へ登る途中。下りて来た一人に「你好ni hao!」と声をかけたら「哪国人na guo ren?」と聞き返された。これ幸いと会話?を試みるうちに、連れの全員が下りて来て、日本から来た私を歓迎しながら、陽気に写真に応じた。北京の企業のグループで、「再見!」「再见!」と言いつつ別れた後の気分は良かった。
▲農業大学の学生たち(9月23日)
語言留学中の日本の大学生2人と私の3人は、中国の友人が先生をしているこの大学を訪ね、日本の学生生活の様子、人気アニメなどの話題や、私は「この年でなぜ留学か」というテーマでお話しをした。
友人である先生の通訳のお陰で実現したのだが、日本語を勉強中の学生たちは興味深そうに聴いてくれた。学生たちの印象は素朴で明るい。この後、質問や記念写真など和気あいあい交流できた。
大変貴重な機会をいただいた友人に感謝し、また是非訪問したいと思っている。
司馬台長城へ登る途中。下りて来た一人に「你好ni hao!」と声をかけたら「哪国人na guo ren?」と聞き返された。これ幸いと会話?を試みるうちに、連れの全員が下りて来て、日本から来た私を歓迎しながら、陽気に写真に応じた。北京の企業のグループで、「再見!」「再见!」と言いつつ別れた後の気分は良かった。
▲農業大学の学生たち(9月23日)
語言留学中の日本の大学生2人と私の3人は、中国の友人が先生をしているこの大学を訪ね、日本の学生生活の様子、人気アニメなどの話題や、私は「この年でなぜ留学か」というテーマでお話しをした。
友人である先生の通訳のお陰で実現したのだが、日本語を勉強中の学生たちは興味深そうに聴いてくれた。学生たちの印象は素朴で明るい。この後、質問や記念写真など和気あいあい交流できた。
大変貴重な機会をいただいた友人に感謝し、また是非訪問したいと思っている。
日曜日, 11月 15, 2009
木曜日, 11月 12, 2009
⑮ 南锣鼓巷 nan luo gu xiang
月曜日, 11月 09, 2009
北京の52日 ⑭ 胡同 hu tong
日曜日, 11月 08, 2009
北京の52日 ⑬ 老北京 / 昔からの北京
金曜日, 11月 06, 2009
北京の52日 ⑫ 秋游 / 遠足
水曜日, 11月 04, 2009
休息一会儿吧 / ちょっと休憩
▲初冠雪の大山(11月3日)
北京同学们好吗!
我家东边有座山,叫“大山”,海拔1,709米。
离我家也不太远,坐汽车大概一个小时就到了。
11月2号,在这里下初雪,白雪覆盖了山顶。
3号,天气晴朗,以蓝天作为背景展露很美丽的雄姿。
北京也越来越冷吧。别感冒了。
祝你们健康,学习进步。
再见!
《後記》
日后的上课时,听老师说,
“11月1号,在北京下雪了,比往年提前了近一个月,是1987年以来首次”。
还有上星期,据北京同学的联系,
“在北京去年11,12月没有下雪了,但是,今年已经有两次也积雪达20厘米的日子”
☆
後日、先生に聞いたところ「北京は11月1日に今季はじめての雪が降り、例年より一ヶ月近く早く、1987年以来22年ぶり」と。
また北京の級友は「去年の11、12月には雪は降らなかったのに、今年はもう2度も20cmの積雪があって驚いた」と知らせて来た。
北京同学们好吗!
我家东边有座山,叫“大山”,海拔1,709米。
离我家也不太远,坐汽车大概一个小时就到了。
11月2号,在这里下初雪,白雪覆盖了山顶。
3号,天气晴朗,以蓝天作为背景展露很美丽的雄姿。
北京也越来越冷吧。别感冒了。
祝你们健康,学习进步。
再见!
《後記》
日后的上课时,听老师说,
“11月1号,在北京下雪了,比往年提前了近一个月,是1987年以来首次”。
还有上星期,据北京同学的联系,
“在北京去年11,12月没有下雪了,但是,今年已经有两次也积雪达20厘米的日子”
☆
後日、先生に聞いたところ「北京は11月1日に今季はじめての雪が降り、例年より一ヶ月近く早く、1987年以来22年ぶり」と。
また北京の級友は「去年の11、12月には雪は降らなかったのに、今年はもう2度も20cmの積雪があって驚いた」と知らせて来た。
火曜日, 11月 03, 2009
⑪ 标语 / 文明乗車,文明一歩,
月曜日, 11月 02, 2009
日曜日, 11月 01, 2009
北京の52日 ⑨ 紫竹院公园Ⅱ
金曜日, 10月 30, 2009
北京の52日 ⑧ 紫竹院公园
土曜日, 10月 24, 2009
北京の52日 ⑦ 早点/朝食
▲包子―― 肉や疏菜が入って一個6角(約8~9円)の表示。
▲鸡蛋灌饼――小麦粉の円盤上に卵を焼いたもの1.5元(約21円)
毎朝6時半起床、7時45分には教室に入った。
その間、朝食は主に宿舎前の小吃点(食堂)で、稗の粥(ヂョウ=おかゆ)と包子(パオズ),咸菜(シェンツァイ=漬け物)で2元(約28円)を定食にした。
時には露店の、鸡蛋灌饼(ジーダン グァンビン)や包子,練った小麦粉を棒状にして油で揚げた油条(ヨウティァオ)に豆浆(トウジャン=豆乳)などを買った。
㊦の写真は自転車のリヤカーに調理台を組んで移動するもの。露店は到処(いたる所)に並んでいる。衛生上の観念から買うのを遠慮する人もいるが、私は慣れた。正直、こんな価格は魅力だった。
▲鸡蛋灌饼――小麦粉の円盤上に卵を焼いたもの1.5元(約21円)
毎朝6時半起床、7時45分には教室に入った。
その間、朝食は主に宿舎前の小吃点(食堂)で、稗の粥(ヂョウ=おかゆ)と包子(パオズ),咸菜(シェンツァイ=漬け物)で2元(約28円)を定食にした。
時には露店の、鸡蛋灌饼(ジーダン グァンビン)や包子,練った小麦粉を棒状にして油で揚げた油条(ヨウティァオ)に豆浆(トウジャン=豆乳)などを買った。
㊦の写真は自転車のリヤカーに調理台を組んで移動するもの。露店は到処(いたる所)に並んでいる。衛生上の観念から買うのを遠慮する人もいるが、私は慣れた。正直、こんな価格は魅力だった。
金曜日, 10月 23, 2009
北京の52日 ⑥ 教师节/教師の日
▲校内の横幕――『敬愛する先生、楽しい教師の日を!』
宿舎前の店頭が朝から親子で賑やか。アレっと思いつつ登校し、横幕を見て気がついた。きょうは教師への尊敬を表す日だから、老师(先生)に贈る花束を買っていたのだ。
8月31日の授業開始の日を思い出す。
学級担任である老师の話が、私にはほとんど聴き取れない中で、はっきりメモできたのは「汉语是我们班的共同语言」(中国語は我々のクラスの共通語である)という言葉だった。
日本の講座でも老师が常に言う「教室に入ったら一切中国語で」という響きによく似ていたからだろう。
その日から月~金の毎日、午前4時間、3名の老师による「综合」「口语」「听力」の3科目が進められた。毎日、宿題も出た。
授業が終わる度に、どの老师も「話し方が速いか」と尋ねながらも緩める気配はなく、私には毎日“速射砲”を浴びている気分だったが、各自のペースに気を配る老师の熱意は十分に伝わって来た。
木曜日, 10月 22, 2009
北京の52日 ⑤ 欢迎您/ようこそ
▲各国語で歓迎
阴转晴。北京に来て4日目に初めて晴れ上がった。
この2階に我々の教室がある国際教育学院。13階建ての大楼(ビル)の2階までが办公室(事務室)や教学大楼(教室棟)、その上階は学生宿舎。
ここで8月24日から留学生の手続き、27日に分班考试(クラス編成試験)が行われ,私は晴れて「秋季语言生・6班A」の一員となった。
同学(クラスメート)は、美国(アメリカ),奥达利亚(オーストラリア),法国(フランス),土耳其(トルコ),蒙古(モンゴル),越南(ベトナム),泰国(タイ),韩国(韓国),日本の計9カ国14人。そのうち私のような“年長者”は2人。
クラスは分かれたが日本人では私ら3人の“年長”が良き友だった。当初の分班名单(クラス名簿)によれば、語言留学生の全体は8班編成で約100人。随時受け入れなので今はそれ以上とみられる。
2階のロビー壁面には12カ国語で歓迎の文字が書かれ、5行目に「ようこそ…」と。
この学院は、民族大学の外国人留学生の募集、語学教育などの世話を担当し、办公室に私の知人の朋友が在職中。お陰で手続きがスムーズに行ったことは忘れない。
水曜日, 10月 21, 2009
北京の52日 ④ 新学期
北京の52日 ③ 民族の花
▲左は回族(hui zu),右は哈萨克(ha sa ke)カザフ族の学生
中央民族大学は、さまざまな異文化の融和共存を目的としている。老师(教員)も各民族の出身者であり、1万5千人に及ぶ学生の約7割が少数民族だという。
いつも、こんな素敵な衣装で授業に出席しているわけではない。
この頃は、国慶節の天安門での表演(パレードや演技)に参加する3年生約2千人の训练(練習)が連日、体育场で行われており、この日は、正装で練習に参加する学生に出会うことが出来た。
彼らの表演のバックに流れる『爱我中华』という愛唱歌は、次のように歌われていた。
♪五十六个民族 五十六枝花,
五十六族兄弟姐妹 是一家 ,
五十六种语言 汇成一句话 ,
爱我中华,爱我中华,爱我中华,爱我中华 ♪
(56の民族は56の花、56の兄弟姉妹は皆一家、
56の言葉は一つとなって、我が中華を愛す…)
火曜日, 10月 20, 2009
北京の52日 ② 検温
▲検温―――校門では必ず“体温測定器”を通り抜ける(9月7日)
この時期、私が一番に心配したことは「健康」のことでした。
知人に聞けば、この大学は以前から校門を入る際にチェックがあるが、今年は特に「厳重」だったようです。 保安(警備員)と护士(看護士)がセットになって、一人一人、安全検査と「体温」が表示される、この測定器を通り抜けるよう指示します。
それよりも、まず学生証がないと通れませんから、学生証を忘れた学生が先生に携帯連絡して、ここまで迎えに出てもらったというトラブルも見聞しました。幸い健康上に不測の事態は体験することなく、元気に帰国できましたので安心ください。
下の写真は、留学生公寓(宿舎)の前から見た西门附近。いつも朝から晩まで人の波とクラクションで、ごった返しています。この手前と左右の通りには商店,饭馆(食堂),摊子(露店)や学校関係者の宿舎などがひしめく、とても方便(便利)な場所でした。
日曜日, 10月 18, 2009
北京の52日 ① 新世代
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