▲川金丝猴chuan jin si hou (きんしこう)…孫悟空のモデルとされるお猿さん。余裕のポーズを見せてくれたが、実は絶滅の危機にある。日曜日, 11月 15, 2009
木曜日, 11月 12, 2009
⑮ 南锣鼓巷 nan luo gu xiang
月曜日, 11月 09, 2009
北京の52日 ⑭ 胡同 hu tong
日曜日, 11月 08, 2009
北京の52日 ⑬ 老北京 / 昔からの北京
金曜日, 11月 06, 2009
北京の52日 ⑫ 秋游 / 遠足
水曜日, 11月 04, 2009
休息一会儿吧 / ちょっと休憩
▲初冠雪の大山(11月3日)北京同学们好吗!
我家东边有座山,叫“大山”,海拔1,709米。
离我家也不太远,坐汽车大概一个小时就到了。
11月2号,在这里下初雪,白雪覆盖了山顶。
3号,天气晴朗,以蓝天作为背景展露很美丽的雄姿。
北京也越来越冷吧。别感冒了。
祝你们健康,学习进步。
再见!
《後記》
日后的上课时,听老师说,
“11月1号,在北京下雪了,比往年提前了近一个月,是1987年以来首次”。
还有上星期,据北京同学的联系,
“在北京去年11,12月没有下雪了,但是,今年已经有两次也积雪达20厘米的日子”
☆
後日、先生に聞いたところ「北京は11月1日に今季はじめての雪が降り、例年より一ヶ月近く早く、1987年以来22年ぶり」と。
また北京の級友は「去年の11、12月には雪は降らなかったのに、今年はもう2度も20cmの積雪があって驚いた」と知らせて来た。
火曜日, 11月 03, 2009
⑪ 标语 / 文明乗車,文明一歩,
月曜日, 11月 02, 2009
日曜日, 11月 01, 2009
北京の52日 ⑨ 紫竹院公园Ⅱ
金曜日, 10月 30, 2009
北京の52日 ⑧ 紫竹院公园
土曜日, 10月 24, 2009
北京の52日 ⑦ 早点/朝食
▲包子―― 肉や疏菜が入って一個6角(約8~9円)の表示。
▲鸡蛋灌饼――小麦粉の円盤上に卵を焼いたもの1.5元(約21円)毎朝6時半起床、7時45分には教室に入った。
その間、朝食は主に宿舎前の小吃点(食堂)で、稗の粥(ヂョウ=おかゆ)と包子(パオズ),咸菜(シェンツァイ=漬け物)で2元(約28円)を定食にした。
時には露店の、鸡蛋灌饼(ジーダン グァンビン)や包子,練った小麦粉を棒状にして油で揚げた油条(ヨウティァオ)に豆浆(トウジャン=豆乳)などを買った。
㊦の写真は自転車のリヤカーに調理台を組んで移動するもの。露店は到処(いたる所)に並んでいる。衛生上の観念から買うのを遠慮する人もいるが、私は慣れた。正直、こんな価格は魅力だった。
金曜日, 10月 23, 2009
北京の52日 ⑥ 教师节/教師の日
▲校内の横幕――『敬愛する先生、楽しい教師の日を!』宿舎前の店頭が朝から親子で賑やか。アレっと思いつつ登校し、横幕を見て気がついた。きょうは教師への尊敬を表す日だから、老师(先生)に贈る花束を買っていたのだ。
8月31日の授業開始の日を思い出す。
学級担任である老师の話が、私にはほとんど聴き取れない中で、はっきりメモできたのは「汉语是我们班的共同语言」(中国語は我々のクラスの共通語である)という言葉だった。
日本の講座でも老师が常に言う「教室に入ったら一切中国語で」という響きによく似ていたからだろう。
その日から月~金の毎日、午前4時間、3名の老师による「综合」「口语」「听力」の3科目が進められた。毎日、宿題も出た。
授業が終わる度に、どの老师も「話し方が速いか」と尋ねながらも緩める気配はなく、私には毎日“速射砲”を浴びている気分だったが、各自のペースに気を配る老师の熱意は十分に伝わって来た。
木曜日, 10月 22, 2009
北京の52日 ⑤ 欢迎您/ようこそ
▲各国語で歓迎 阴转晴。北京に来て4日目に初めて晴れ上がった。
この2階に我々の教室がある国際教育学院。13階建ての大楼(ビル)の2階までが办公室(事務室)や教学大楼(教室棟)、その上階は学生宿舎。
ここで8月24日から留学生の手続き、27日に分班考试(クラス編成試験)が行われ,私は晴れて「秋季语言生・6班A」の一員となった。
同学(クラスメート)は、美国(アメリカ),奥达利亚(オーストラリア),法国(フランス),土耳其(トルコ),蒙古(モンゴル),越南(ベトナム),泰国(タイ),韩国(韓国),日本の計9カ国14人。そのうち私のような“年長者”は2人。
クラスは分かれたが日本人では私ら3人の“年長”が良き友だった。当初の分班名单(クラス名簿)によれば、語言留学生の全体は8班編成で約100人。随時受け入れなので今はそれ以上とみられる。
2階のロビー壁面には12カ国語で歓迎の文字が書かれ、5行目に「ようこそ…」と。
この学院は、民族大学の外国人留学生の募集、語学教育などの世話を担当し、办公室に私の知人の朋友が在職中。お陰で手続きがスムーズに行ったことは忘れない。
水曜日, 10月 21, 2009
北京の52日 ④ 新学期
北京の52日 ③ 民族の花
▲左は回族(hui zu),右は哈萨克(ha sa ke)カザフ族の学生中央民族大学は、さまざまな異文化の融和共存を目的としている。老师(教員)も各民族の出身者であり、1万5千人に及ぶ学生の約7割が少数民族だという。
いつも、こんな素敵な衣装で授業に出席しているわけではない。
この頃は、国慶節の天安門での表演(パレードや演技)に参加する3年生約2千人の训练(練習)が連日、体育场で行われており、この日は、正装で練習に参加する学生に出会うことが出来た。
彼らの表演のバックに流れる『爱我中华』という愛唱歌は、次のように歌われていた。
♪五十六个民族 五十六枝花,
五十六族兄弟姐妹 是一家 ,
五十六种语言 汇成一句话 ,
爱我中华,爱我中华,爱我中华,爱我中华 ♪
(56の民族は56の花、56の兄弟姉妹は皆一家、
56の言葉は一つとなって、我が中華を愛す…)
火曜日, 10月 20, 2009
北京の52日 ② 検温
▲検温―――校門では必ず“体温測定器”を通り抜ける(9月7日)この時期、私が一番に心配したことは「健康」のことでした。
知人に聞けば、この大学は以前から校門を入る際にチェックがあるが、今年は特に「厳重」だったようです。 保安(警備員)と护士(看護士)がセットになって、一人一人、安全検査と「体温」が表示される、この測定器を通り抜けるよう指示します。
それよりも、まず学生証がないと通れませんから、学生証を忘れた学生が先生に携帯連絡して、ここまで迎えに出てもらったというトラブルも見聞しました。幸い健康上に不測の事態は体験することなく、元気に帰国できましたので安心ください。
下の写真は、留学生公寓(宿舎)の前から見た西门附近。いつも朝から晩まで人の波とクラクションで、ごった返しています。この手前と左右の通りには商店,饭馆(食堂),摊子(露店)や学校関係者の宿舎などがひしめく、とても方便(便利)な場所でした。
日曜日, 10月 18, 2009
北京の52日 ① 新世代
木曜日, 8月 20, 2009
月曜日, 8月 17, 2009
日曜日, 8月 02, 2009
火曜日, 7月 21, 2009
火曜日, 7月 07, 2009
牛郎织女来相会
月曜日, 6月 29, 2009
辛苦了/お疲れさまでした
中国語の発音は、ローマ字で表音化した拼音(ピンイン)で表記される。
したがって『辛苦了』は、拼音では「xin ku le」、これを日本語のカタカナで読むならば「シン・クー・ラ」である。
日本語でも「辛苦」という言葉があって、「しんく」と発音する。
手元の広辞林(三省堂)によれば「苦しみ。難儀。心配」とある。
私たちより前の世代、かつて大戦中の国では「艱難辛苦(かんなんしんく)」と言うような言葉が使われたと聞く。苦しい現実がたくさんある今の世でも、「辛苦」という言葉は一般的には使われない、それほど重苦しい意味と響きを持つ。
中国語の『辛苦』は「苦労である」「骨が折れる」などの意味があり、講座が終わった時などに「ご苦労さま」「お疲れさま」という意味で「シン・クー・ラ」と挨拶して、お互いの労をねぎらう言葉である。
もともと日本と中国は漢字を母国語とする。
まさに『辛苦』などは発音も意味も日本語に似ている代表例であり、中国語を習い始めた頃は「漢字」から来る“感じ”で、中国語はなじみ易いと思ったのだが、やがて発音の難しさに苦労するところとなり、私にとっては、その壁が大きく立ちはだかったと実感したのが、きょう受験した中国語検定だった。
“完敗”の様相だが、却ってさっぱりした気分になった。
その壁を遥かに見上げている自分を、はっきり知ることが出来ただけでも受験した甲斐があった。
帰宅したら家族が「シン・クー・ラ」と迎えてくれた。
今や我が家の日常語になっているカタカナ語なのだが、ホッとすると同時に、きょうは、ハッと、この言葉の意味を振り返っていた。
そうだ、私など、まだまだ「辛苦」が足りないのだ。
壁の向こうに何としてでも行ってみたい。
また壁に向かうぞ。
したがって『辛苦了』は、拼音では「xin ku le」、これを日本語のカタカナで読むならば「シン・クー・ラ」である。
日本語でも「辛苦」という言葉があって、「しんく」と発音する。
手元の広辞林(三省堂)によれば「苦しみ。難儀。心配」とある。
私たちより前の世代、かつて大戦中の国では「艱難辛苦(かんなんしんく)」と言うような言葉が使われたと聞く。苦しい現実がたくさんある今の世でも、「辛苦」という言葉は一般的には使われない、それほど重苦しい意味と響きを持つ。
中国語の『辛苦』は「苦労である」「骨が折れる」などの意味があり、講座が終わった時などに「ご苦労さま」「お疲れさま」という意味で「シン・クー・ラ」と挨拶して、お互いの労をねぎらう言葉である。
もともと日本と中国は漢字を母国語とする。
まさに『辛苦』などは発音も意味も日本語に似ている代表例であり、中国語を習い始めた頃は「漢字」から来る“感じ”で、中国語はなじみ易いと思ったのだが、やがて発音の難しさに苦労するところとなり、私にとっては、その壁が大きく立ちはだかったと実感したのが、きょう受験した中国語検定だった。
“完敗”の様相だが、却ってさっぱりした気分になった。
その壁を遥かに見上げている自分を、はっきり知ることが出来ただけでも受験した甲斐があった。
帰宅したら家族が「シン・クー・ラ」と迎えてくれた。
今や我が家の日常語になっているカタカナ語なのだが、ホッとすると同時に、きょうは、ハッと、この言葉の意味を振り返っていた。
そうだ、私など、まだまだ「辛苦」が足りないのだ。
壁の向こうに何としてでも行ってみたい。
また壁に向かうぞ。
土曜日, 6月 27, 2009
火曜日, 6月 16, 2009
樱桃/さくらんぼ

▲我が家の小庭の紫陽花「隅田の花火」

▲映画「さくらんぼ 母ときた道」の案内誌から
…
映画と紫陽花は何の関係もありませんが、この子にも見せたくなって載せました。
☆
日中の共同制作による原題「樱桃」。
中国・雲南省の農村を舞台に、知的障害の母·樱桃(インタオ) の素直でありのままの愛を一心に受け、貧しくとも純真に生きる少女・紅紅(ホンホン)。 いつも母が採ってくれるさくらんぼを、ポケットいっぱいに抱えて食べる、その甘さは忘れることのできない母の優しい愛そのものでした。
☆
辛いほど悲しい映画でした。 しかし、人間はこんなにも純粋に強くなれるものかと、衝撃すら受けました。
それにしても、舞台の農村に広がる棚田(梯田)の美しいこと。それも鍬(くわ)で畦(あぜ)を切り、牛で田を鋤(す)き、手で田植えをする…この風景に郷愁も感じながらの素晴らしい作品。
県民会館名画劇場(一会員)での鑑賞でした。
日曜日, 6月 07, 2009
老家/いなか

好久不见了。时隔半个月,写博客。
一转眼,6月来了,一年已经过了一半了。
昨天,和家人一起去我的老家扫墓和观赏小竹百合,还有采摘梅子。
百合的叶子和小竹的叶子很相似,水灵灵的。
静静地开放,那花朵非常的芳香,可爱。
我们在这里种植了很多百合,作成花园,希望有朝一日让大家到这里来赏花。
一看到老家的风景,心情就舒畅了许多。
☆…★…
お久しぶり、半月ぶりに発信です。
あっと言う間に6月、もう今年も半分来ちゃったね。
昨日、家族で田舎に行って、墓参ついでに笹百合を愛で、また梅の実取りなどしたよ。
笹百合の葉は笹の葉にそっくりで、みずみずしく、
そこにそっと咲いた花は、とてもかぐわしく可愛い。
ここで笹百合を育て、百合園にして、いずれ皆に見に来てもらえるようにしたいと思っている。
田舎の風景を見ると心が和むね。
▲㊤笹百合(ササユリ)の花と蕾、葉っぱの形。
▲㊦田舎の棚田風景。
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