日曜日, 5月 04, 2008

憲法9条と永井博士

▲1951年新春(昭和26年)とある永井隆博士の「如己愛人」。
その年、5月1日朝に43歳で逝去。

私が生まれた年、昭和22年(1947年)5月3日に「日本国憲法」が施行。永井博士は病床で、特に第9条の条文に感涙されたという。
 「これこそ、戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声だ。しかし、理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そして、その叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけられるかもしれない。そのときこそ、誠一よ、茅乃、たとい最後の二人になっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱり『戦争絶対反対』を叫び続け、叫びとおしておくれ! たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても、『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ!」 (1949年=昭和24年に刊行された『いとし子よ』から)
 すでに博士は今日の憲法改正の動きを察知しておられたのか。その息子の誠一(まこと)さんは父の想いを著書「永井隆」(サン パウロ発行)に託して、また娘の茅乃(かやの)さんは今春、博士の生誕100年記念式典の前日に、いずれも早くして天に召された。
“最後の二人”がいなくなって、いよいよ博士の願いは空しいものになってしまうのか。
いや私も、そうはさせない。もっとはっきり憲法を守る友人だっている。
……私の生まれた年と憲法のことを考えた、今年の5月3日だった。

水曜日, 4月 23, 2008

門戸開放

▲自家の枝垂桜見物に来る人に、自宅の門を開放した加茂町のお宅。庭から門越しに見る樹形は、また見事だった(4月6日)

久しぶり更新です。花見も終わり、次は「飛び出せ!野に山に」新緑シーズンですね。
ところで、woさんの“愛国心”の問いかけに直ぐに書き込みしたかったのですが、難しくて失礼しました。このテーマはご存知T先生が一貫しておられ、私も何度かお話を聞きながら、私なりに考えてみますが、国が国民のためにあるのなら国=国民、つまり愛国心=愛国民心ということになるのかというと、そうではないのですね。
もっと歴史を学ばないといけませんが、最近の映画でも“愛国心”とは何かの一端を伺うことが出来ます。「母べえ」は、平穏な一家の主人が“国賊”として留置され獄死、残された母子が我慢に我慢で寄り添って生きる。やがて“一億総玉砕”へと高(こう)じた時代です。
アメリカ映画「大いなる野望」は、ダウンタウンの黒人とメキシコ系の学生が、米国が戦争に勝てば差別社会をなくせると信じて、イラク戦争に志願し、悲しい結末を迎える現代のストーリー。
いずれも同じ国民庶民が、結局は自分たちの意志と違う現実の下で悲劇を迎えるのです。
で、“愛国心”とはいったい何か、私はまだ説明できません。
「国を愛することがイコール国民を愛することにならない」というところまでが私の理解です。

火曜日, 4月 15, 2008

山里の春

4月13日。 この春は2週続けて島根の雲南へ行楽する機会に恵まれました。その行程の一番最後に、初めて見る風景でした。これぞ「山里の春~」…しばし見とれました。

木曜日, 4月 10, 2008

花街道

花見どきが一カ月もあったら感動しないだろう。短い命だからこそボンボリや花見の宴で思いっきり賑やかに見るのが良い。また、この土手のように何の飾りもないのが良い。どちらの花も一所懸命きれいに咲いてみせるのに、人間はどうして争いごとばかりするのだろうか…。

火曜日, 4月 08, 2008

松江の武者行列

4月5日。城山の桜まつりもたけなわ、開府四百年祭の一つ武者行列が法螺貝隊を先頭に殿町を行く。じっくり見たのは今年が初めて。そこで気が付いたのは皆、極めて真剣な表情であること。草鞋(わらじ)の足並みも粛々と揃っていた。 ちなみに、その昔の堀尾公の入城の再現です。皆さんお疲れさま。

日曜日, 4月 06, 2008

お花見サンデー!島根の雲南

▲加茂町の「段部のしだれ桜」。樹齢340年。同町の天然記念物。屋号「段部」さんが大切に保存されている。 ▲木次の桜トンネル。
▲“花より団子”の席もいっぱいでした。
暑いほどの上天気となった6日、講座仲間の5人で雲南市に桜見物しました。ここに来るのは3人が初めて。加茂、木次の桜から三刀屋の永井隆記念館を見学、全員が「平和を」の願いを墨書したあと、博士の生い立ちの家から斐伊川へ回り、土手の桜を見ながら上流部に向かい、尾原ダムの工事現場を見学、帰りに斐伊川和紙へ立ち寄りました。我が故郷への関心を持っていただいた仲間に感謝!


木曜日, 4月 03, 2008

春天的和歌

▲斐伊川土手のボンボリを飾らない桜並木。映画「うん・何?」にも、この角度で登場しますよ。

☆ きょうの中文講座は春にちなんだ漢詩をきっかけに、和歌の中訳を試みることになりました。枕詞は訳し難く、詩の調子にするのは難しかったのですが、皆さんそれぞれに苦心の作。面白かったです。
 元の歌は、Iさんが見つけた「古今集を代表する春の歌」ともいわれる紀友則の歌です。
 『ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ』 
 (春の日はのどかなのに、花はなぜせわしなく散るのだろうか)

これを皆さん次のように汉语で詠んでみました。
【Kさん】 春天这么悠闲宁静  樱花怎么也匆匆散落
【Yさん】 春天睛朗的天气  却为什么匆匆忙忙的要花落
【KTさん】 在温和的春光里  花谢票零为什么那样匆忙
【わたし】 春天和煦的一天  花落为何太匆匆
【老师】 春光和暖  大地安详  为何花落 行匆匆

そして【Iさん】はちょっと長めにキメられました。
暮春三月 山花烂漫 樱花也盛开 美丽纷纷 
一个和暖的春天。
虽然天气晴朗 没有春风 可是 樱花花瓣纷纷飘落。
怎么那么快凋谢了。 (它不了解人家的心情)

火曜日, 4月 01, 2008

丝绸之路(シルクロード)を西へ!

            ▲中国の西端まで旅を重ねた画家本人

       ▲喀什(ka shen )カシュガルの街で(2作品の一部)

           ▲見覚えのある西安とラサの名所も
好久不見了。ブログにも、この画家にも久しぶりです。
光阴似箭。もう4月。またいろいろ始まる季節。
 この画家は4年ぶりの個展をきょうから開いています。中国語教室の仲間でもあった彼とは、お互いに中文や中国への強い関心を共有する朋友ですが、彼の実行力には感心するばかり。
 単身、シルクロードの中国の西端まで旅した彼は言います。
 「ここ中東に続く西域には、まだ人々の素朴な営みがある。しかし、その街は凄まじい速さで現代都市に姿を変えている。“胡人”の光あふれる表情、心の彩りは普遍であって欲しい」と。私には共感できます。
 彼の初個展は裸婦ばかりで、いささかくたびれ?ましたが、今回は遥か新疆维吾尔自治区(しんきょうウイグル自治区)を中心とした民族と風土に溶け込もうとする彼の想いが感じられます。
ぜひ鑑賞ください。7日まで、松江市殿町のタウンプラザしまねです。

日曜日, 3月 23, 2008

ことばの勉強

この子は英語を学習していることが本当に嬉しそうで、私との言葉は通じなくても、自分から「見て欲しい」と言っていることは良く分かりました。勉強 進んでるかな…(06.9=訪問先の村の小学校で)

きょう中検を受験した。正確に言えば「席に着いた」だけだ! 思えば3級までも大変長かったが、2級は途中1年間の空白も挟んで4回目。もう「参加に意義」なんて言うのも恥ずかしい。3月は特に多忙で(なんてことを言ってるからダメなんだが)これを理由に、今回は本気に“棄権”しようと思った。
 しかし、やはり受験する気になったのは、“woさんのブログ”を見たからだ。このブログはとても話題が豊富。その中に曰く、日本語の「チンプンカンプン」は、中国語の「听不懂(ting bu dong) 看不懂(kan bu dong)」に由来すると。私はハッとした。「チンプンカンプン」はいつもの私ではないか。それが中国語なら、私はいつも中国語そのものだと。そう思ったら妙に気が楽(らく)になって、受験したのです。
 結果は、やはり…下記の過去問題にあった通りでしたが、試験問題までが私の心境を見透かしているのだと思うと、もう恥ずかしいなんて言ってはおられません。この次も気楽?に“参加”します!
 「你得好好儿下一番功夫,否则考也是白考」→(あなたはしっかり頑張らないといけない。そうしないと試験を受けても無駄です)……。ともかく老師には、いつまで恩返し出来ないのかな!对不起! 
(以上、中検終わってホッと一息。しばらく、どなたにもコメントもせず御免!) 

火曜日, 3月 18, 2008

「松江春」と「江南春」

照片は 「松江の春」。
古诗は「江南の春」(長江以南の地区)で。
 
 『 江 南 春 』 jiang nan chun    杜  牧 du mu

千 里 莺 啼 绿 映 红 /千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず
·
水 村 山 郭 酒 旗 风 /水村 山郭 酒旗(しゅき)の風
·
南 朝 四 百 八 十 寺 /南朝 しひゃく はっしんじ
·
多 少 楼 台 烟 雨 中 /多少の楼台 煙雨の中
·
【意】千里四方で鶯が鳴き、新緑が花の紅に移り、目にしみるばかり/ 水辺の村や、山の麓の町には、竹ざおの先に結ばれた酒屋の目印である青や白の旗が風にはためいている/ 南朝や それ以前の呉、東晋を含めた六朝時代の多くの仏教寺院の/ 高殿がそぼ降る春雨の中に霞んで見える/
杜牧(803~852)は晩唐の詩人。風流人である反面、憂国の念が人一倍強かったという(中国語ジャーナル「中国古诗欣赏」より)

土曜日, 3月 15, 2008

遺憾!

拉萨(ラサ)の中心にあり、西藏(チベット)で最も聖なる寺院の大昭寺(ジョカン)の正門前。五体投地をする人々の姿が絶えない(04年8月)…
 …あれから4年。08年3月15日のきょう。TVニュースに私はアッと声を上げた。“チベットで暴動”の見出しで、ラサ市街の一角から黒煙が上がり、建物が損壊される映像。
 中国当局は「ダライ・ラマ一派の仕業」「死者10人で、鎮静化した」と発表。しかし米国は「軍と警察が出動して80人は殺害」と報道し、北京五輪への不参加を含む懸念を示す国々もある。ダライ・ラマ14世は即刻、自らの関与を否定し、苦しむ民衆の直接行動だとする声明を出した。
 西藏自治区を観光旅行で、ほんの垣間(かいま)見ただけの私に論評する力はないが、何か起こりそうな気配は、頭の片隅に感じとっていた。外国人の旅行が制限されるという報道も。しばし、チベットに親しみを感じてブログにも一部分を紹介して来た私には、とても気になるニュースだ。
  

山茶花(shan cha hua )

椿は松江藩の殖産の一つでもあった。城山には椿谷があり、現在はいろいろな名前の付いた種類の豊富な花々が鑑賞の目を楽しませる。15日にはイングリッシュガーデンで、椿のイベントも開かれる。

金曜日, 3月 14, 2008

お知らせ

当方の“友人的网页”の“心香”が、古いパターンのままになっていたため、大変ご迷惑をおかけしました。
遅くなりましたが、本日から「朋友的博客群」の「心香(中文老師のブログ)」として紹介し直しましたので、ぜひご覧ください。

日本的古诗

「日本の漢詩」を探していたら、[関西吟詩文化協会の漢詩紹介]というページに次の一首があり、ちょっと気に入ったので紹介します。
福澤諭吉(1834~1901)の作です。

    惜  花            花を惜しむ 

半 生 行 路 苦 辛 身 /半生の行路 苦辛の身 

幾 度 迎 春 還 送 春 /幾たびか春を迎え また春を送る

節 物 怱 怱 留 不 止 /せつぶつ そうそうとして留むれども
                   止まず
惜 花 人 是 戴 霜 人 /花を惜しむの人は これ 
                   霜をいただくの人

【意】今まで歩んで来たあとを振り返ってみれば、苦辛の連続であった/ その間、何回、春がめぐって来たことだろうか/ 四季折々の景色の移り変わりは早く、ひきとめることもできない /ようやく花を賞(め)で、楽しむことのできる身になったが、すでに白髪の老人になってしまった/
【注】節物=四季折々の景色(ここでは春の花の咲く季節のこと)。 怱怱=日時の慌しく過ぎ行くこと。 霜戴人=髪に白毛の混じっている老人のこと。
   

木曜日, 3月 13, 2008

陽だまり

あったかくなりました。松江城山の開花は4月3日だそうです。すると6日の日曜あたりが花見に最適かなぁ~♪

日曜日, 3月 09, 2008

湖边的春天

この土曜日、気持ちいい陽光に誘われ、テクノアークで「パソコンの“輪”広げよう作品展示会」を見てから、時々フランスパンを買いに行く、湖畔のパン屋さんに行きました。満願寺の近くにある、ひたむきなご夫婦の手作りのお店です。あまり天気が良いので、店のテラスを借りてパンをかじってたら、ちょっと春景に出会いました。

創作漢詩

5年前、島根大の公開授業で漢詩を教わったことがあります。結局それっきりで、とても勉強したなどと言えませんが、その時の“最初にして最後”の自作です。韻(いん)とかの決まりごとに沿って詩作するのはとても難しいです。恥ずかしながら自賛の一首を…

  送行北鳥        北の鳥を送る

松江湖上照朝陽 /松江(しょうこう)湖上に朝陽(ちょうよう)照らし

多少漁船長棹光 /多少の漁船(りょうせん)長棹(ちょうとう)光る

歓喜春来停歩眺 /春来たるを歓喜して歩みを停めて眺むれば

天鵝惜別遠啼翔 /天鵝(てんが)惜別し 遠く啼いて翔(と)ぶ

☆…天鵝=白鳥。宍道湖に春が来たのを喜ぶ頃には、白鳥が北に帰ってゆく…春はまた別れの季節でもあるのだというような感慨を想ったものです。             

金曜日, 3月 07, 2008

漢詩をもう一つ

「日本人の漢詩」が宿題ですが、知らないので、本場の漢詩から「春」と「酒」にちなんだ詩を一首。
  白居易=白楽天(772~846)が友人を招いて、共に飲もうとした時の詩です(NHK「漢詩への誘い」から)。 題は 『杏園に花落つる時、銭員外を招きて同(とも)に酔う』とあります。  

『 杏 园 花 落 时  招 钱 员 外 同 醉 』
xing yuan hua luo shi zhao qian yuan wai tong zui

花  园  欲  去  去  应  迟  
hua yuan yu qu qu  ying  chi

正 是  风  吹  狼  藉  时
zheng shi  feng chui lang ji shi

近 西  数 树  犹  堪  醉
jin xi  shu shu you kan zui
半  落  春  风  半  在  枝
ban luo chun feng ban zai zhi


【訳】 杏園に花見に行こうとするが、行っても もう遅いに違いない。
    ちょうど花嵐が吹いて、落花が乱れ散っている時であろう。
    でも西よりの数本の木は、まだ花見に酔えるだろう。
    花は半ば春風に散っても、あと半分は枝に残っている。
☆(以下は私が追加・・・)
 だから、まだゆっくり飲みましょう。
 でも、爛漫の時に、とことん飲むのが一番いいですよね。
 今度、皆が揃ったら、ぜひ花見しましょう。
 もちろん、お茶だけでも。また談笑しましょう。

水曜日, 3月 05, 2008

涼州詞

             (04.8 西藏高原にて)

woさんに倣(なら)って、漢詩を一つ。 中文を習い始めた頃、老師に勧められた漢詩で、一応?暗記したつもり…。

  『凉州词』   王 翰    「liang zhou ci」  wang han

葡 萄  美 酒  夜 光 杯  (葡萄の美酒 夜光のさかづき)
pu tao mei jiu ye guang bei    

欲 饮 琵 琶  马 上 催  (飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す)
yu yin pi pa ma sahng cui

醉 卧 沙 场 君 莫 笑  (酔うて砂場に臥すとも 君笑うこと莫れ)
zui wo sha chang jun mo xiao

古 来 征 战 几 人 回  (古来 征戦 幾人か帰らん)
gulai zheng zhan ji ren hui  

☆…王翰(687~726)は唐の詩人。涼州は唐の西北の国境で今の甘粛省武威県という。西域の防衛に赴く…即ち生還は極めて困難なことを意味する兵士たちの “悲壮な美酒” を詠(うた)った詩で、唐詩の七言絶句の中でも圧巻とされます。

日曜日, 3月 02, 2008

春天来了!

侧金盏花开了。実家の庭先で福寿草が顔を覗(のぞ)かせていました。