金曜日, 6月 13, 2008

矢切の渡し

柴又帝釈天からちょっと歩を延ばすと江戸川。寅さんが遊んだ土手から見下ろす河川敷には、見渡すところ10数面の野球場、サッカー場やフリーな広場が広がり、人々がプレーや散策を楽しんでいる。その向こうに渡しがみえる。河岸も桟橋も素朴そのもの。こっちは葛飾区、向こうは千葉県松戸市。我が家の近くの矢田の渡しよりも自然な風景が、大東京の一角にあった。
天気も暑過ぎず、翌日、秋葉原で惨劇が起きることなど想像もできない穏やかなひと時だった。

水曜日, 6月 11, 2008

小岩菖蒲園

今度の東京では、案内されるままに江戸の名残りを歩くことができた。
柴又帝釈天に近い江戸川沿いの小岩菖蒲園では「菖蒲祭り」の真っ最中。園内には地元の人たちが露店のテントを並べ、日曜を憩う家族連れやカメラの人たちで賑わっていた。
大都会にも“地方”が感じられ、近くの鉄橋を成田に結ぶ京成線がひっきりなし通過する騒音も、さほど気にならなかった。
以前、woさんのブログで見た「アヤメは網目状」「花菖蒲(ショウブ)は黄色の目」「カキツバタは白の目」という花の模様を「なるほど」と思いながら鑑賞した。
ここでは葉の特色を紹介していたが、woさんの説のほうが大変分かりやすいと思った。

火曜日, 6月 10, 2008

富士は

08.6.8午後5時過ぎ。東京からの帰り。富士山上空。雲海の中からひとり抜きん出た姿は、まさに日本一。ぜひ登ってみようね!

水曜日, 6月 04, 2008

旅の思い出

突然ながら舞台は南フランスのポンデュガール(pont du gard)。フランス語の響きは可愛らしいけれども、ガルドン川(gardon) に架かる橋という意味。しかし、これが紀元後まもない、2000年も前に建造された古代ローマの水道橋で、高さ約50m。50km離れた町と町を結んだ水道の一部と聞けば、その技術に驚くほかない。アヴィニョンの郊外にある世界遺産である。
05年8月、縁あって彼の地を旅した。その翌年には中国の九寨沟を訪ねた。それらの地に共通しているのは人工物であれ、自然景観であれ、壮大かつ広大なものであり、人の力、自然の大きさであった。
その自然は、今まさに大地震に台風と、戦争を除いては、今の我々には考えられない壊滅的な被害をもたらしている。
そうでなくても、人は地球環境を急速に破壊に向かわせている。今から2000年後の人々は“遺跡見物”など出来ているだろうか、と思う…



火曜日, 6月 03, 2008

出雲街道の祝言

ここは米子から姫路へ抜ける旧出雲街道の勝山(岡山県)。かつて勝山藩のあった城下町で、松江藩の殿様が参勤交代で往来し、今では旧街道を生かした街づくりを進めている町だ。写真クラブの撮影旅行で行った5月24日、幸運にも本物の祝言が、この瓦屋根のお屋敷であり、人力車で披露宴会場に向かう光景に出くわした。突然のカメラの放列にもにこやかに笑みを返してくれたお二人さん。この光景だけは何度見てもいいものだ。ちなみに車夫は、ここの町おこしで有名な松本さんという御仁だ。
光阴似箭! もう6月。「ジューンブライド」は特に幸福になれるとも。
多くの人に、いいことがいっぱいあるといいなぁ。
みんな頑張れ。大家加油啊!

金曜日, 5月 30, 2008

故郷の美田

故郷の田んぼ。田植えの終わった今が一番「美田」に感じる。農作業は大変なこととしか思わなかった子供の頃。その故郷の暮らしを離れて随分と過ぎた今、田んぼの風景を見ると落ち着く。だが、この田んぼも近い将来どうなるか分からない。故郷で頑張った連中も皆年取った。もちろん、私に田んぼが出来るわけはない。そう思うと寂しい。しかし寂しいと思うほどに風景が懐かしく、見ると落ち着く。もう一度故郷の我が家で暮らしてみたいなどと 思う。

日曜日, 5月 25, 2008

バラ園のある病院

きょうは今月初めて何の予定も入っていない休日だった。
久しぶりに老母と老義母を、それぞれ入院中の病院に見舞った。
母は、かすかにしてくれた返事も今は反応きわめて弱くなり、義母は、意識不明で最悪を覚悟した時から3カ月経って、実娘である家内の呼びかけには、うなづくまでに驚異的な回復をしたが、二人ともモノ言わず寝たきり状態。生きることは大変なことだと、いつも思う。
母の入る病院の前庭にはバラ園がある。近所の男性が丹精されているたくさんのバラで、車椅子で散策の患者さんたちに好評のようだが、バラを見ることのできない寝たきり患者も大変多い。
いつもながら病院の皆さんの日ごろのお世話に感謝した。

金曜日, 5月 23, 2008

感谢对大家的善意

在文化中心举办的中文班交流会的时侯,为四川大地震灾民支援,参加人们募捐了。 捐款总额是达到2万日元。对大家的善意,我表示衷心感谢。23号,把捐款寄托给报社的捐款窗口。
文化教室中国語講座と交流の集いで、四川大地震の被災者救援のため、参加した人たちが義援金を募金した。総額は2万円にもなった。皆さんの善意に、心から感謝する。
23日、義援金を新報社の窓口に寄託した。

火曜日, 5月 20, 2008

我的奥林匹克/ボクの五輪

このところ話題から少し遠のいたが、聖火リレーが騒がしい頃、我が家のタンスから取り出した。
「TOKYO 1964」の胸マークを、ただのグンゼの下着に縫い付けただけ。当時はこれで立派なユニホームだったのか。
僕はロードレースでは速いほうだった。弟はもっと速かった。その兄弟そろって聖火リレーの伴走チームに選ばれた。もちろんトーチを持つ主役は陸上部や運動部の主力選手たちで、ボクらはゾロゾロ後について伴走するだけだった。それでも僕にとっては、タンスに残す「僕のオリンピック」となった。
それから44年も過ぎて、だいぶ色あせてシワっぽくなっているが、17歳の感動は残っていた。

日曜日, 5月 18, 2008

中国語講座を囲む交流の集い

中国への知識と中国語への関心を高めてもらおうと、 山陰中央新報文化教室の中国語講座の受講生と中国旅行をした皆さんたちの集いが17日開かれ、21人が参加して有意義なひと時を過ごした。
「写真家」「版画家」「留学経験の受講生」の3人が、数々の写真やスクリーンで、民族の風物や人物あるいは交流、留学体験など、それぞれの特色を生かして中国での様子を発表。本当に良い組み合わせの発表であり、また別の受講生から中国語で旅の感想も出るなど、参加者一同に旅行や留学への想いを更に募らせた。
この集いを計画後に四川大地震が発生したため急遽、黙祷と義援金箱を設定。松江で中国語講師を務める中国出身の二人の先生とお子さんも一緒に、母国の犠牲者の冥福と一日も早い救助、復興を願う集いともなった。私は講座を囲む交流の輪が、中国の友人たちを励まし復興の一助となる交流の輪になって欲しいと願った。
なお募金箱は、参加できなかった皆さんにも今週の講座でお願いした後、新聞社の義援金窓口に寄託する。皆さんのご協力に心から感謝!

水曜日, 5月 14, 2008

天崩地裂Ⅱ

▲成都市郊外の杜甫草堂(とほそうどう)。唐の詩人・杜甫の旧居で、園内には梅林や竹林の中に渓流が走る閑静なたたずまい(04.8)。

震源の汶川(ぶんせん)への道路は断絶され6万人と連絡取れず、歴史的な水路で世界遺産の都江堰(とこうえん)も跡形なく、何千人かの犠牲者を出した绵竹(めんちく)や、北川(ほくせん)チャン族自治県の壊滅的な住居の映像……報道の度に増える犠牲者の数と惨状。そこから更に北東の青川(せいせん)にかけての300公里(km)に及ぶ断層が動いたという、凄まじい破壊力。
地図で、いずれも成都の北方に位置する、これらの地域の更に北方を見やれば九寨沟がある。
それにしても過去2度、旅行で経由したことのある成都を、このような形で思い出すことになろうとは。
とにかく一日も早い救助、復旧を願い、山陰中央新報も明日15日から被災地への義援金を募ります。日本赤十字社を通じて救援活動におくります。ご協力願えれば幸いです。

月曜日, 5月 12, 2008

天崩地裂/天変地異

▲四川省の成都で車中から見た日本企業の一つ、イトーヨーカドー(04.8)

連休後半と同時に準備・本番に追われた写真展も、きょう夕方の作品撤収で概ね無事終了した。連休後も休暇をとっていた私は、きょうの月曜日はもう仕事を休めず、久しぶりに仕事を処理した。
この間、ニュースを詳しく見聞する余裕もなかったが、中国の胡锦涛主席来日という国家的な動きのほかに、ミャンマーではサイクロン被害による何万人もという驚愕の犠牲者が出た様子、さらにきょうは中国でも四川省の西北西90公里にある「汶川县」付近を震源とする大地震が発生。400公里離れた重慶でも小学校の倒壊による犠牲者の報など続々。
「汶川」は九寨沟に通じるルートの途中にある。もしやと思って老師に電話したら、九寨沟は無事な様子だと。少し安堵。
成都と重慶には日本企業も多い。イトーヨーカドー、伊勢丹、トヨタほか(成都)、ホンダ、スズキ、マツダ、いすゞほか(重慶)。
胡主席の来日で「未来志向で日中両国関係を更に推進する」ことが約された。これはこれで大いに歓迎したい。
それにしても自然の脅威は凄まじい。ミャンマーなどは不安と不満も募る軍政下での大災害で“人災”との声も出る。・・・被災犠牲者の冥福を祈るばかりである。

日曜日, 5月 11, 2008

第2回しまね写真展

県立美術館で開催中の「第2回しまね写真展」は、初回の昨年を上回る209点の応募と、主催の県写連の会員作品展を併せて計247点を展示。毎日多くの来場で盛会です。
遠くは北海道から応募してくれた友人、講座のみなさん、知り合いの連中、等々いろいろな形で応募してくれた皆さんに感謝します。
さらに、会場に来てくれた皆さん、しかも何度も来てくださる方もあり、感謝しています。
連日の会場当番も嬉しい気持ちで充実しています。
取り急ぎ、お礼かたがた報告まで。
なお明日までです。まだの方はぜひ一度!

日曜日, 5月 04, 2008

憲法9条と永井博士

▲1951年新春(昭和26年)とある永井隆博士の「如己愛人」。
その年、5月1日朝に43歳で逝去。

私が生まれた年、昭和22年(1947年)5月3日に「日本国憲法」が施行。永井博士は病床で、特に第9条の条文に感涙されたという。
 「これこそ、戦争の惨禍に目覚めた本当の日本人の声だ。しかし、理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から、憲法を改めて戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そして、その叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけられるかもしれない。そのときこそ、誠一よ、茅乃、たとい最後の二人になっても、どんなののしりや暴力を受けても、きっぱり『戦争絶対反対』を叫び続け、叫びとおしておくれ! たとい卑怯者とさげすまれ、裏切り者とたたかれても、『戦争絶対反対』の叫びを守っておくれ!」 (1949年=昭和24年に刊行された『いとし子よ』から)
 すでに博士は今日の憲法改正の動きを察知しておられたのか。その息子の誠一(まこと)さんは父の想いを著書「永井隆」(サン パウロ発行)に託して、また娘の茅乃(かやの)さんは今春、博士の生誕100年記念式典の前日に、いずれも早くして天に召された。
“最後の二人”がいなくなって、いよいよ博士の願いは空しいものになってしまうのか。
いや私も、そうはさせない。もっとはっきり憲法を守る友人だっている。
……私の生まれた年と憲法のことを考えた、今年の5月3日だった。

水曜日, 4月 23, 2008

門戸開放

▲自家の枝垂桜見物に来る人に、自宅の門を開放した加茂町のお宅。庭から門越しに見る樹形は、また見事だった(4月6日)

久しぶり更新です。花見も終わり、次は「飛び出せ!野に山に」新緑シーズンですね。
ところで、woさんの“愛国心”の問いかけに直ぐに書き込みしたかったのですが、難しくて失礼しました。このテーマはご存知T先生が一貫しておられ、私も何度かお話を聞きながら、私なりに考えてみますが、国が国民のためにあるのなら国=国民、つまり愛国心=愛国民心ということになるのかというと、そうではないのですね。
もっと歴史を学ばないといけませんが、最近の映画でも“愛国心”とは何かの一端を伺うことが出来ます。「母べえ」は、平穏な一家の主人が“国賊”として留置され獄死、残された母子が我慢に我慢で寄り添って生きる。やがて“一億総玉砕”へと高(こう)じた時代です。
アメリカ映画「大いなる野望」は、ダウンタウンの黒人とメキシコ系の学生が、米国が戦争に勝てば差別社会をなくせると信じて、イラク戦争に志願し、悲しい結末を迎える現代のストーリー。
いずれも同じ国民庶民が、結局は自分たちの意志と違う現実の下で悲劇を迎えるのです。
で、“愛国心”とはいったい何か、私はまだ説明できません。
「国を愛することがイコール国民を愛することにならない」というところまでが私の理解です。

火曜日, 4月 15, 2008

山里の春

4月13日。 この春は2週続けて島根の雲南へ行楽する機会に恵まれました。その行程の一番最後に、初めて見る風景でした。これぞ「山里の春~」…しばし見とれました。

木曜日, 4月 10, 2008

花街道

花見どきが一カ月もあったら感動しないだろう。短い命だからこそボンボリや花見の宴で思いっきり賑やかに見るのが良い。また、この土手のように何の飾りもないのが良い。どちらの花も一所懸命きれいに咲いてみせるのに、人間はどうして争いごとばかりするのだろうか…。

火曜日, 4月 08, 2008

松江の武者行列

4月5日。城山の桜まつりもたけなわ、開府四百年祭の一つ武者行列が法螺貝隊を先頭に殿町を行く。じっくり見たのは今年が初めて。そこで気が付いたのは皆、極めて真剣な表情であること。草鞋(わらじ)の足並みも粛々と揃っていた。 ちなみに、その昔の堀尾公の入城の再現です。皆さんお疲れさま。

日曜日, 4月 06, 2008

お花見サンデー!島根の雲南

▲加茂町の「段部のしだれ桜」。樹齢340年。同町の天然記念物。屋号「段部」さんが大切に保存されている。 ▲木次の桜トンネル。
▲“花より団子”の席もいっぱいでした。
暑いほどの上天気となった6日、講座仲間の5人で雲南市に桜見物しました。ここに来るのは3人が初めて。加茂、木次の桜から三刀屋の永井隆記念館を見学、全員が「平和を」の願いを墨書したあと、博士の生い立ちの家から斐伊川へ回り、土手の桜を見ながら上流部に向かい、尾原ダムの工事現場を見学、帰りに斐伊川和紙へ立ち寄りました。我が故郷への関心を持っていただいた仲間に感謝!


木曜日, 4月 03, 2008

春天的和歌

▲斐伊川土手のボンボリを飾らない桜並木。映画「うん・何?」にも、この角度で登場しますよ。

☆ きょうの中文講座は春にちなんだ漢詩をきっかけに、和歌の中訳を試みることになりました。枕詞は訳し難く、詩の調子にするのは難しかったのですが、皆さんそれぞれに苦心の作。面白かったです。
 元の歌は、Iさんが見つけた「古今集を代表する春の歌」ともいわれる紀友則の歌です。
 『ひさかたの 光のどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ』 
 (春の日はのどかなのに、花はなぜせわしなく散るのだろうか)

これを皆さん次のように汉语で詠んでみました。
【Kさん】 春天这么悠闲宁静  樱花怎么也匆匆散落
【Yさん】 春天睛朗的天气  却为什么匆匆忙忙的要花落
【KTさん】 在温和的春光里  花谢票零为什么那样匆忙
【わたし】 春天和煦的一天  花落为何太匆匆
【老师】 春光和暖  大地安详  为何花落 行匆匆

そして【Iさん】はちょっと長めにキメられました。
暮春三月 山花烂漫 樱花也盛开 美丽纷纷 
一个和暖的春天。
虽然天气晴朗 没有春风 可是 樱花花瓣纷纷飘落。
怎么那么快凋谢了。 (它不了解人家的心情)

火曜日, 4月 01, 2008

丝绸之路(シルクロード)を西へ!

            ▲中国の西端まで旅を重ねた画家本人

       ▲喀什(ka shen )カシュガルの街で(2作品の一部)

           ▲見覚えのある西安とラサの名所も
好久不見了。ブログにも、この画家にも久しぶりです。
光阴似箭。もう4月。またいろいろ始まる季節。
 この画家は4年ぶりの個展をきょうから開いています。中国語教室の仲間でもあった彼とは、お互いに中文や中国への強い関心を共有する朋友ですが、彼の実行力には感心するばかり。
 単身、シルクロードの中国の西端まで旅した彼は言います。
 「ここ中東に続く西域には、まだ人々の素朴な営みがある。しかし、その街は凄まじい速さで現代都市に姿を変えている。“胡人”の光あふれる表情、心の彩りは普遍であって欲しい」と。私には共感できます。
 彼の初個展は裸婦ばかりで、いささかくたびれ?ましたが、今回は遥か新疆维吾尔自治区(しんきょうウイグル自治区)を中心とした民族と風土に溶け込もうとする彼の想いが感じられます。
ぜひ鑑賞ください。7日まで、松江市殿町のタウンプラザしまねです。

日曜日, 3月 23, 2008

ことばの勉強

この子は英語を学習していることが本当に嬉しそうで、私との言葉は通じなくても、自分から「見て欲しい」と言っていることは良く分かりました。勉強 進んでるかな…(06.9=訪問先の村の小学校で)

きょう中検を受験した。正確に言えば「席に着いた」だけだ! 思えば3級までも大変長かったが、2級は途中1年間の空白も挟んで4回目。もう「参加に意義」なんて言うのも恥ずかしい。3月は特に多忙で(なんてことを言ってるからダメなんだが)これを理由に、今回は本気に“棄権”しようと思った。
 しかし、やはり受験する気になったのは、“woさんのブログ”を見たからだ。このブログはとても話題が豊富。その中に曰く、日本語の「チンプンカンプン」は、中国語の「听不懂(ting bu dong) 看不懂(kan bu dong)」に由来すると。私はハッとした。「チンプンカンプン」はいつもの私ではないか。それが中国語なら、私はいつも中国語そのものだと。そう思ったら妙に気が楽(らく)になって、受験したのです。
 結果は、やはり…下記の過去問題にあった通りでしたが、試験問題までが私の心境を見透かしているのだと思うと、もう恥ずかしいなんて言ってはおられません。この次も気楽?に“参加”します!
 「你得好好儿下一番功夫,否则考也是白考」→(あなたはしっかり頑張らないといけない。そうしないと試験を受けても無駄です)……。ともかく老師には、いつまで恩返し出来ないのかな!对不起! 
(以上、中検終わってホッと一息。しばらく、どなたにもコメントもせず御免!) 

火曜日, 3月 18, 2008

「松江春」と「江南春」

照片は 「松江の春」。
古诗は「江南の春」(長江以南の地区)で。
 
 『 江 南 春 』 jiang nan chun    杜  牧 du mu

千 里 莺 啼 绿 映 红 /千里 鶯啼いて 緑 紅に映ず
·
水 村 山 郭 酒 旗 风 /水村 山郭 酒旗(しゅき)の風
·
南 朝 四 百 八 十 寺 /南朝 しひゃく はっしんじ
·
多 少 楼 台 烟 雨 中 /多少の楼台 煙雨の中
·
【意】千里四方で鶯が鳴き、新緑が花の紅に移り、目にしみるばかり/ 水辺の村や、山の麓の町には、竹ざおの先に結ばれた酒屋の目印である青や白の旗が風にはためいている/ 南朝や それ以前の呉、東晋を含めた六朝時代の多くの仏教寺院の/ 高殿がそぼ降る春雨の中に霞んで見える/
杜牧(803~852)は晩唐の詩人。風流人である反面、憂国の念が人一倍強かったという(中国語ジャーナル「中国古诗欣赏」より)

土曜日, 3月 15, 2008

遺憾!

拉萨(ラサ)の中心にあり、西藏(チベット)で最も聖なる寺院の大昭寺(ジョカン)の正門前。五体投地をする人々の姿が絶えない(04年8月)…
 …あれから4年。08年3月15日のきょう。TVニュースに私はアッと声を上げた。“チベットで暴動”の見出しで、ラサ市街の一角から黒煙が上がり、建物が損壊される映像。
 中国当局は「ダライ・ラマ一派の仕業」「死者10人で、鎮静化した」と発表。しかし米国は「軍と警察が出動して80人は殺害」と報道し、北京五輪への不参加を含む懸念を示す国々もある。ダライ・ラマ14世は即刻、自らの関与を否定し、苦しむ民衆の直接行動だとする声明を出した。
 西藏自治区を観光旅行で、ほんの垣間(かいま)見ただけの私に論評する力はないが、何か起こりそうな気配は、頭の片隅に感じとっていた。外国人の旅行が制限されるという報道も。しばし、チベットに親しみを感じてブログにも一部分を紹介して来た私には、とても気になるニュースだ。
  

山茶花(shan cha hua )

椿は松江藩の殖産の一つでもあった。城山には椿谷があり、現在はいろいろな名前の付いた種類の豊富な花々が鑑賞の目を楽しませる。15日にはイングリッシュガーデンで、椿のイベントも開かれる。

金曜日, 3月 14, 2008

お知らせ

当方の“友人的网页”の“心香”が、古いパターンのままになっていたため、大変ご迷惑をおかけしました。
遅くなりましたが、本日から「朋友的博客群」の「心香(中文老師のブログ)」として紹介し直しましたので、ぜひご覧ください。

日本的古诗

「日本の漢詩」を探していたら、[関西吟詩文化協会の漢詩紹介]というページに次の一首があり、ちょっと気に入ったので紹介します。
福澤諭吉(1834~1901)の作です。

    惜  花            花を惜しむ 

半 生 行 路 苦 辛 身 /半生の行路 苦辛の身 

幾 度 迎 春 還 送 春 /幾たびか春を迎え また春を送る

節 物 怱 怱 留 不 止 /せつぶつ そうそうとして留むれども
                   止まず
惜 花 人 是 戴 霜 人 /花を惜しむの人は これ 
                   霜をいただくの人

【意】今まで歩んで来たあとを振り返ってみれば、苦辛の連続であった/ その間、何回、春がめぐって来たことだろうか/ 四季折々の景色の移り変わりは早く、ひきとめることもできない /ようやく花を賞(め)で、楽しむことのできる身になったが、すでに白髪の老人になってしまった/
【注】節物=四季折々の景色(ここでは春の花の咲く季節のこと)。 怱怱=日時の慌しく過ぎ行くこと。 霜戴人=髪に白毛の混じっている老人のこと。
   

木曜日, 3月 13, 2008

陽だまり

あったかくなりました。松江城山の開花は4月3日だそうです。すると6日の日曜あたりが花見に最適かなぁ~♪

日曜日, 3月 09, 2008

湖边的春天

この土曜日、気持ちいい陽光に誘われ、テクノアークで「パソコンの“輪”広げよう作品展示会」を見てから、時々フランスパンを買いに行く、湖畔のパン屋さんに行きました。満願寺の近くにある、ひたむきなご夫婦の手作りのお店です。あまり天気が良いので、店のテラスを借りてパンをかじってたら、ちょっと春景に出会いました。

創作漢詩

5年前、島根大の公開授業で漢詩を教わったことがあります。結局それっきりで、とても勉強したなどと言えませんが、その時の“最初にして最後”の自作です。韻(いん)とかの決まりごとに沿って詩作するのはとても難しいです。恥ずかしながら自賛の一首を…

  送行北鳥        北の鳥を送る

松江湖上照朝陽 /松江(しょうこう)湖上に朝陽(ちょうよう)照らし

多少漁船長棹光 /多少の漁船(りょうせん)長棹(ちょうとう)光る

歓喜春来停歩眺 /春来たるを歓喜して歩みを停めて眺むれば

天鵝惜別遠啼翔 /天鵝(てんが)惜別し 遠く啼いて翔(と)ぶ

☆…天鵝=白鳥。宍道湖に春が来たのを喜ぶ頃には、白鳥が北に帰ってゆく…春はまた別れの季節でもあるのだというような感慨を想ったものです。             

金曜日, 3月 07, 2008

漢詩をもう一つ

「日本人の漢詩」が宿題ですが、知らないので、本場の漢詩から「春」と「酒」にちなんだ詩を一首。
  白居易=白楽天(772~846)が友人を招いて、共に飲もうとした時の詩です(NHK「漢詩への誘い」から)。 題は 『杏園に花落つる時、銭員外を招きて同(とも)に酔う』とあります。  

『 杏 园 花 落 时  招 钱 员 外 同 醉 』
xing yuan hua luo shi zhao qian yuan wai tong zui

花  园  欲  去  去  应  迟  
hua yuan yu qu qu  ying  chi

正 是  风  吹  狼  藉  时
zheng shi  feng chui lang ji shi

近 西  数 树  犹  堪  醉
jin xi  shu shu you kan zui
半  落  春  风  半  在  枝
ban luo chun feng ban zai zhi


【訳】 杏園に花見に行こうとするが、行っても もう遅いに違いない。
    ちょうど花嵐が吹いて、落花が乱れ散っている時であろう。
    でも西よりの数本の木は、まだ花見に酔えるだろう。
    花は半ば春風に散っても、あと半分は枝に残っている。
☆(以下は私が追加・・・)
 だから、まだゆっくり飲みましょう。
 でも、爛漫の時に、とことん飲むのが一番いいですよね。
 今度、皆が揃ったら、ぜひ花見しましょう。
 もちろん、お茶だけでも。また談笑しましょう。

水曜日, 3月 05, 2008

涼州詞

             (04.8 西藏高原にて)

woさんに倣(なら)って、漢詩を一つ。 中文を習い始めた頃、老師に勧められた漢詩で、一応?暗記したつもり…。

  『凉州词』   王 翰    「liang zhou ci」  wang han

葡 萄  美 酒  夜 光 杯  (葡萄の美酒 夜光のさかづき)
pu tao mei jiu ye guang bei    

欲 饮 琵 琶  马 上 催  (飲まんと欲すれば 琵琶 馬上に催す)
yu yin pi pa ma sahng cui

醉 卧 沙 场 君 莫 笑  (酔うて砂場に臥すとも 君笑うこと莫れ)
zui wo sha chang jun mo xiao

古 来 征 战 几 人 回  (古来 征戦 幾人か帰らん)
gulai zheng zhan ji ren hui  

☆…王翰(687~726)は唐の詩人。涼州は唐の西北の国境で今の甘粛省武威県という。西域の防衛に赴く…即ち生還は極めて困難なことを意味する兵士たちの “悲壮な美酒” を詠(うた)った詩で、唐詩の七言絶句の中でも圧巻とされます。

日曜日, 3月 02, 2008

春天来了!

侧金盏花开了。実家の庭先で福寿草が顔を覗(のぞ)かせていました。

残雪的家乡

                   路上有残雪,水车在路旁转
早や弥生3月の1日。このところ、ちょっと慌しかった日々の合い間。父の命日も過ぎて、やっと田舎に墓参しました。ここは実家と同じ町内の風景…路面の残雪、道路わきの水車の音に…しばし我が故郷の臭いに浸りました。
 チベット(西藏自治区)でも、中国・四川省の九寨沟(きゅうさいこう)でもありません。でも、家乡(ふるさと)の風景は、どこか似ていると思いました。その故郷に“春”を感じて帰りました。高兴的春天来了!

火曜日, 2月 26, 2008

大唐卡开龛/大タンカ開帳


西藏人(チベットの人々)の心を捉える最大の行事と言われるタンカ(仏画)の開帳。特にラサの夏祭りで有名なショトン祭(雪顿节)は、日の出とともに始まる、デプン寺(哲蚌寺)の大タンカ開帳で始まる。普段は㊦後方に見える寺院に仕舞ってあるタンカが、年に一度、背後の山の頂に開帳される。その寺から岩山の急な斜面には、未明から参拝の人々が押し寄せ、極彩色の巨大な仏画の出現で、祭りは最高潮となる。

土曜日, 2月 23, 2008

祈祷


祈る。修行僧も庶民もひたすら祈る。ラサ(拉萨)の寺院では、どこでも目にする祈りの姿。特に地面に平伏する“五体投地”という祈りの姿は、チベットの代名詞とも言える。彼らが祈るのは、“輪廻転生”の世界で再び“善人”として生まれ変わりたいためという。チベットの人々の信仰心は厚いと思った。
 いま私は、ひたすら身近な人の無事を祈る心境である。
 

水曜日, 2月 20, 2008

如果有了一对翅膀···

             (这张照片,拍照在九寨·黄龙机场上空)
 『翼(つばさ)があれば…』
島根県にはチベット探検の先駆者がいた。東洋哲学者で登山家でもある能海寛(のうみ・ゆたか)。明治元年(1868)那賀郡金城に生まれ、「没年不詳」である。
 島根県歴史人物事典(新報社刊)によれば、19歳で「チベット語大蔵経」を英訳し、チベット探検することを公表。明治31年(1898)神戸港を出港した。探検は大きく3回に分けられる。
 1回目は、四川省からの「川藏公路」コースで、現在の康定市で旅行許可証を取得し、西藏へ向かうがチベット領内の巴塘の金沙江の辺りで足止めに遭い、引き返した。
 2回目は、西安・蘭州経由で青海省からの「青藏公路」コースで、再びチベット領内に入るが、盗賊に遭い、重慶まで引き返す。
 3回目は、雲南省からの「雲藏公路」コースで、明治34年(1901)、大理からの手紙を最後に音信を絶った。33歳の時だった。
 最後の手紙には「今や極めて僅少(きんしょう)なる金力を以て、深く内地(西藏)に入らんとす」とあったという。また残されていたという次の一句に、私は痛く胸を打たれた。
 「のぞめども 遥(はる)か深山(みやま)の金沙江、翼(つばさ)なくては 渡りえもせず」。
 彼はこの間、民俗、風俗、習俗など61項目にわたる報告書、行程記録、旅行日記など多数を残していた。
 あぁ!百年後の今、こうも簡単に飛んで、写真を撮って帰ることができる自分は、なんと幸せな、平和なことか、有難いことだ。 

火曜日, 2月 19, 2008

游牧民族的哥哥和妹妹

江孜(ギャンツエ)から拉萨(ラサ)への帰路、二つの大峠を越えて休憩した辺りで、遊牧民の兄妹が、じっとこちらを見てくれた。しっかり手をつないだ妹の恥ずかしそうな表情が印象に残る。
 彼らは夏場、牦牛(ヤク)の毛皮で作ったテントに暮らし、放牧をしている。背景には夏でも万年雪の山々。冬の今頃は、こんな風景は望むべくもないだろう。冬はどうしているのか聞き忘れたが、あれから4年、この兄妹も大きくなったろうなぁ。

月曜日, 2月 18, 2008

在西藏最大的佛塔

 ラサの西南260kmにあるギャンツェ(江孜)は標高3,950m。西藏自治区で3番目に大きい町。インドに通じる交通の要衝で、チベット仏教各派の学問の中心である白居寺の門前町として栄えた。
 ギャンツェの大塔として有名な、この仏塔(パンコル・チョルテン)はチベット最大(高さ34m)。内部には仏像や仏教壁画がびっしりと描かれ、チベット仏教美術の重要な遺品とされる。 

日曜日, 2月 17, 2008

藏族人的发源地


ラサ(拉萨)の空港から東へ約80kmにあるツェタン(泽当)は標高3,500m。チベット人発祥の地といわれ、最古の宮殿ユムブ・ラカン㊤から見下ろす一帯には麦畑が延々と広がる。(04年8月)

土曜日, 2月 16, 2008

雍布拉康 /ユンブ・ラカン (西藏自治区)

藏族(チベット人)発祥の地と言われるツェタン(泽当)の小高い山上に建つ宮殿。
チベットで最初の建築物とされ、紀元前1世紀前後に初代の王が建てたとも。

ところで、北京には同市最大のチベット仏教寺院「雍和宫」(ようわきゅう)がある。
もとは皇帝の屋敷だったのを、のちに藏族などに対する融和策としてチベット仏教
寺院に改修されたという。こちらも一度行ってみたい。

金曜日, 2月 15, 2008

藏历新年


西藏(チベット)のタルチョー(经幡)。
確か年に一回、取り替えられると聞いたような気がする。
藏历(チベット暦)も今が正月。新しう経幡になってるだろうか。

水曜日, 2月 13, 2008

“中国人は赤(色)が好き”

             【04年夏】成都の武候祠(ぶこうし)にて。              
 2月11日、松江中国語教室連盟の主催で市内4箇所の中国語講座の合同新年会が開かれました。
大勢の級友が参加して、合唱や演奏、中国詩の朗読や太極拳、ゲームなど多彩なプログラムで楽しいひと時を過ごし、中国出身の先生には「春節」をお祝いしました。 私は友人のお陰で連れ立って「吹口琴」(ハーモニカ演奏)しましたが、会場の皆さんにはお恥ずかしい限りでした。
 また、みんなで中国語を楽しむ「中文大家乐(楽)」というミニコミ誌も創刊され、その中で先生の一人が「中国の旧正月」と題して、中国人の赤好きに興味深く触れておられました。
 これは同教室連盟が年3回の発行予定で、中国や中国語学習の原稿を随時募集しています。あなたにもぜひ中国語への関心、応募をお勧めします。 以上、中国語の諸先生のお世話に感謝!

月曜日, 2月 04, 2008

立春前一天

光阴似箭,已经2月。そして旧正月。
3日の節分の日、参拜了美保神社。
静かな境内でした。皆が平穏でありますように。