月曜日, 1月 14, 2008

永井隆記念館にて(Ⅱ)

祈る博士「妻の喪に服して~半年髪刈らず」
との説明があります。
        ◇
昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、
長崎の上空にピカッと光線が走った。
被爆…自らも重傷を負いながら被爆者救護に全力を挙げ、
3日目の夕になって自宅に戻って初めて、
妻の緑さんの姿が消えていることを知った博士。
「あった。やっぱりあった。灰の上に高まって現れている
黒いもの―緑よ!台所の跡の、茶わんのかけらのそばに
―たったこれだけの骨になって……近寄って手をかけた。
まだほの温たかかった。拾い上げたら、ああ軽く、ぽろり
と崩れた。腰にロザリオの鎖だけがまつわっていた。」
          (永井隆著「滅びぬものを」より)
2カ月前、白血病で自分が先に逝くべき余命を宣告されて
いたのに、突如、妻が逝ってしまった博士は、骨をバケツに
入れて墓に向かった。
「私の骨を近いうちに妻が抱いてゆく予定であったのに―
運命はわからぬものだ。私の腕の中で妻が、かさかさと
燐酸の音をたてていた。私はそれを『ごめんね、ごめんね』
と言っているのだと聞いた。」  (「ロザリオの鎖」より)
        ◇
(※参考文献=長男誠一さんの著書「永井隆」)

3 件のコメント:

H.B さんのコメント...

听说他是一名出色的医务工作者、我很敬佩他的献身精神。更希望人世间多一份爱心、多一份和平。少一些纷争、让世界永远没有战争。

futaro さんのコメント...

昨日はご案内ありがとうございました。心にきましたねー。それにしても、貴方の優しい運転に感心しました。貴方には如己愛人の魂が宿っております。私ならスピードだしての一直線。自己愛を如己愛人に切り替えましょう。
satiko

mitoya さんのコメント...

satikoさま:
過分なおことば有難う。
でも私は、あなたもよくご承知の通り、
「如己…」の精神など遠く及ばない、他人に迷惑をかける恥ずかしい人間です。これから、もっと鍛えてください。
昨日は大変嬉しく楽しかったです。