月曜日, 6月 30, 2008

茅の輪

6月30日は近所の神社の輪越(わごし)祭。茅の輪をくぐると、心身のけがれを払い除けられ、病魔に負けない力がもらえるという。いろいろ災いが多すぎるこの頃。仕事の帰りにお参りして来ました。
昨日、心香のブログに熱いメッセージが載りました。勝手ながら以下に日訳を転載します。

  【心香さんのブログから】
きょう(29日)松江の彩雲堂で、成功裏に第2回の四川大地震チャリティーコンサートが開かれました。
天気は悪く、朝からずっと、それも大雨が降る。こんな天気では、人が来てくれないのではないか?私たちは大変心配でした。
でも午後になると、予想外なことに、まだ公演時間にならないのに、会場にはもういっぱいの人が座っていました。2回目の公演の時には、あろうことか来賓の方でも立って鑑賞してもらわなければならない事態にまでなったのです。
これには出演スタッフ全員がとても感動させられました。
このチャリティー公演は、出演者のほかに、大変多くのボランティアの方々の各方面からの支援をいただきました。
特に、きょう私たちのために会場を提供してくださったのは、彩雲堂さんという、この地で有名な銘菓の製造販売のお店でした。
しかも彩雲堂さんは無償で会場を提供してくださっただけでなく、チャリティー公演の運営にも大きな努力を払ってくださり、さらにお店の職員さんも、この活動に積極的に協力いただきました。
本当に心から彩雲堂さんに感謝し、職員の皆さんに感謝します。

四川大地震発生以来、日本の友人たちに多くのご支援をいただきました。
日本の皆さんの行為に私たちは深く感動し、全ての善良な皆さんに心から感謝し、被災地の人々を気遣ってくださった全ての方々に感謝します。
皆さんからの思いやりによって、この世界は更に調和のとれた世界に変わることができると確信します。
皆さんのご厚情に報い、皆さんのために尽くし、皆さんから与えられた優しい心を、同じように皆さんに恩返しできるよう、感謝と恩義の心を大切にしたいと思います。
感動があり、感謝を知り、恩義を感じることができるからこそ、周囲の一切がすばらしく、自分と人との皆が幸福であることを感じています。

以上がブログの全文です。後半は特に恩返しを大切にしたいという気持ちが綴られていました。
彩雲堂さんにも是非この気持ちが伝わると良いですね!

金曜日, 6月 20, 2008

笹百合(ササユリ)

我的家乡是岛根县的云南市,在那里我拍照这枝花儿(08·6·14)
日语叫“笹百合”。用汉语怎么说呢? 在中国有没有?
葉が笹(ササ)に似ていることから笹百合と呼ばれ、別名は小百合。
もう、そんな名前を聞くだけで惚れてしまうが、山中にハッと振り向かせる、可憐で、かぐわしい姿に出会うと、なんとも愛おしくなる。
「あなたが来るのが待ち遠しかった」と言っているようだ(!?)
でも彼女たちは、こっちの休日に合わせてはくれないので、行っても会えないことが多いし、以前は盗掘らしいことも多々あって、がっかりさせることが多かった。
この日、この夏初めて出会うことができた。
今は在郷の友人が世話をしてくれて、あるがままに広く自生しようとしている様子が嬉しかった。

木曜日, 6月 19, 2008

妈妈,不哭/お母さん、泣かないで

▲チャリティーコンサートでは、このようなハープを個人で持っているのは山陰では唯一という音楽家の美しい音色を眼前で聴くこともできた。スクリーンには少数民族の親子の姿も映し出された(08・6・15)
12日の「心香」さんのブログで「これは訳したい」と思った詩が紹介された。コンサートの日、朗読された詩でもあった。そのブログを日訳転載させていただく…。
『涙を飲んで、私たちの暮らしを続けよう』
2008年5月12日午後2時28分、この場を突如として襲った災難に、私たちは、大切にすることを学ぶ多くのことを教えられた――お互いに助け合うことで、生命(いのち)は更に貴いものになり、崩れない信念のもとで、心の窮地に向かうことができる――どんな困難にも負けないで、私たちの暮らしを続けよう! 私たちの素晴らしい未来を再建しよう!
しっかり生きる、それが亡くなった人々への一番の慰めになるのだ!
『お母さん、泣かないで!』
わが子よ、早く!母さんの手に、つかまって。
天国への道はとても暗い。母さんはおまえが心配だ。頭がぶつかる。早く!母さんの手に、しっかりつかまって。母さんはおまえと一緒に行くよ。
母さん、怖い!天国の道は真っ暗。ボクは母さんの手が見えない。倒れた壁が光を奪い、二度と母さんの愛しい瞳を見ることができない。
わが子よ、行きなさい!前の道を、二度と心配ないよう。どうか母さんと父さんの顔を忘れないで。来世は、また一緒に歩こうね。
母さん、心配しないで。天国の道は少し込み合って、たくさんの友達がいるよ。母さん、もう泣かないで。涙はボクの行く道を照らさない。ボクたちは自分でゆっくり行くよ。
母さん、ボクは母さんと父さんの顔を忘れない。
私たちの約束を忘れない―来世で一緒に歩くことを。
 

月曜日, 6月 16, 2008

赈灾义演/被災者救援チャリティー

四川大地震で被災した子供達を支援しようと、島根と海外の交流活動を主催する会「こんにち輪」と松江中国語教室連盟の主催で、チャリティーコンサート(赈灾义演)が15日午後、城東公民館で開かれた。
中国出身の皆さん達の合唱、犠牲者への黙祷に続いて、国際交流員で来松中の女性が大地震の概況を報告。この中で彼女は、震源地の「汶川」の文字を合わせると「済」の字になるとして、各国からの救済への支援を感謝すると同時に、岩手・宮城で起きた地震被災をも気遣い、どちらにも一日も早い復興救援を願った。私は改めて両国が漢字を共通する国であることや、漢字の意味に託す想いに親近感を感じた。
この後、ソプラノ(女高音)、ヴァイオリン(小堤琴)、ピアノ(鋼琴)、ハープ(竪琴)、フルート(長笛)の6人の音楽家の皆さんが熱演を続け、参加した多くの人たちに交流と支援の「輪」と「和」を広げた。入場料は全額義援金として汶川大地震孤児救助専用基金に贈られる。

金曜日, 6月 13, 2008

矢切の渡し

柴又帝釈天からちょっと歩を延ばすと江戸川。寅さんが遊んだ土手から見下ろす河川敷には、見渡すところ10数面の野球場、サッカー場やフリーな広場が広がり、人々がプレーや散策を楽しんでいる。その向こうに渡しがみえる。河岸も桟橋も素朴そのもの。こっちは葛飾区、向こうは千葉県松戸市。我が家の近くの矢田の渡しよりも自然な風景が、大東京の一角にあった。
天気も暑過ぎず、翌日、秋葉原で惨劇が起きることなど想像もできない穏やかなひと時だった。

水曜日, 6月 11, 2008

小岩菖蒲園

今度の東京では、案内されるままに江戸の名残りを歩くことができた。
柴又帝釈天に近い江戸川沿いの小岩菖蒲園では「菖蒲祭り」の真っ最中。園内には地元の人たちが露店のテントを並べ、日曜を憩う家族連れやカメラの人たちで賑わっていた。
大都会にも“地方”が感じられ、近くの鉄橋を成田に結ぶ京成線がひっきりなし通過する騒音も、さほど気にならなかった。
以前、woさんのブログで見た「アヤメは網目状」「花菖蒲(ショウブ)は黄色の目」「カキツバタは白の目」という花の模様を「なるほど」と思いながら鑑賞した。
ここでは葉の特色を紹介していたが、woさんの説のほうが大変分かりやすいと思った。

火曜日, 6月 10, 2008

富士は

08.6.8午後5時過ぎ。東京からの帰り。富士山上空。雲海の中からひとり抜きん出た姿は、まさに日本一。ぜひ登ってみようね!

水曜日, 6月 04, 2008

旅の思い出

突然ながら舞台は南フランスのポンデュガール(pont du gard)。フランス語の響きは可愛らしいけれども、ガルドン川(gardon) に架かる橋という意味。しかし、これが紀元後まもない、2000年も前に建造された古代ローマの水道橋で、高さ約50m。50km離れた町と町を結んだ水道の一部と聞けば、その技術に驚くほかない。アヴィニョンの郊外にある世界遺産である。
05年8月、縁あって彼の地を旅した。その翌年には中国の九寨沟を訪ねた。それらの地に共通しているのは人工物であれ、自然景観であれ、壮大かつ広大なものであり、人の力、自然の大きさであった。
その自然は、今まさに大地震に台風と、戦争を除いては、今の我々には考えられない壊滅的な被害をもたらしている。
そうでなくても、人は地球環境を急速に破壊に向かわせている。今から2000年後の人々は“遺跡見物”など出来ているだろうか、と思う…



火曜日, 6月 03, 2008

出雲街道の祝言

ここは米子から姫路へ抜ける旧出雲街道の勝山(岡山県)。かつて勝山藩のあった城下町で、松江藩の殿様が参勤交代で往来し、今では旧街道を生かした街づくりを進めている町だ。写真クラブの撮影旅行で行った5月24日、幸運にも本物の祝言が、この瓦屋根のお屋敷であり、人力車で披露宴会場に向かう光景に出くわした。突然のカメラの放列にもにこやかに笑みを返してくれたお二人さん。この光景だけは何度見てもいいものだ。ちなみに車夫は、ここの町おこしで有名な松本さんという御仁だ。
光阴似箭! もう6月。「ジューンブライド」は特に幸福になれるとも。
多くの人に、いいことがいっぱいあるといいなぁ。
みんな頑張れ。大家加油啊!