日曜日, 1月 13, 2008

雲南市三刀屋町の永井記念館


13日、三刀屋町の永井隆記念館を友人たちと訪れました。
永井博士は、我が故郷の飯石村(現・三刀屋町多久和)に育ち、
長崎医大に進み放射線専門医師として献身的な治療に当たる
うちに自ら白血病にかかり、そして昭和20年8月9日、あの
原子爆弾で被爆。その後も、被爆者救護の医療活動を続け、
いよいよ体が動けなくなった後は、畳二枚の病床「如己堂」
(にょこどう)で執筆活動を続け、
「長崎の鐘」や「この子を残して」など多数の著書を残し、
最期まで「己(おのれ)の如く人を愛せよ」 「平和を」と
訴え続け、昭和26年、43歳の若さで亡くなられた。
明治41年(1908年)生まれで今年生誕100年になる。
博士の遺志は長崎と三刀屋町(雲南市)にある記念館や
「如己の会」など多くの人々によって語り、受け継がれ、
いま生誕100年を記念して、如己堂再建の寄金や、
平和をの願いを書き綴る活動などが呼びかけられている。
この正月、友人たちと歓談するうち、新聞記事を読んだ
K夫人から「ぜひ生い立ちの地に行ってみたい」と
提案があり、誰もが即座に賛同。
この日、5人で記念館や生い立ちの家を訪れ、
博士を偲びつつ、ささやかであっても全員それぞれに
願いを込めて「平和を」と墨書して帰りました。
私は故郷のことを友人達が知ってくれることの嬉しさと
同時に、文字通り身命を賭して「それでも人を愛せよ」
と、ひたすら訴えられた郷土の大先輩の遺志を、
微力ながら語りがなければならないと、改めて
思い直す機会となりました。
友人達に感謝!

水曜日, 1月 09, 2008

天津

我今年第一次翻译心香的文章。对不起,我自己的解释。
(心香のコメントには字数が多くて入らないので、このブログで書きます)
 「天津」
今回再び天津に来る機会があり、改めてこの街を読み(知り)ました。
天津は「万国建築博物館」と称されるところで、清朝末期に英仏列強が租界として占領し、当時、各国の駐留軍の建物、異なる風格の建築が、この広くない区域に、それぞれに建てられた。もう100年の時が過ぎたが、これらの建築は大変良く元の姿を保って来た。今回友人がわざわざ私を「馬場道」に連れて行った。これは東西南北に向かう道で、さまざまな西洋建築が最も集中する区域だ。19世紀末、英国籍のドイツ人「德璀琳」が、この一帯に競馬場を開設し、ここを起点として、英国租界から競馬場に向かう道路をつくった。馬場道の名はそのためだ。この街を歩くと、両側に全て異なる風格の洋館が、静かで趣のある外観、精緻な細部で、人々の足を停め、つぶさに見物させる。どの歴史建築も完全保存であるだけでなく、門外には説明文があり、風格の謂(いわ)れや年代、かつての主人など、
はっきり分かるように書いてある。これらの古い建物は今や多くはオフィスで、週末には正門はぴったりと閉じられ、ある種の神秘さが一層にじみ出て、多くの物語や、かつてここで起こったこと全てについて、現代人に更に当時の経緯を追究したいと思わせるのだ。
天津は、中国の4大直轄市の一つ。北京から天津まで特急列車の乗って、わずか1時間。天津の基本は真南、真北、真東、真西への街道ではなく、大部分は斜めに通っている街路で、私のように“方向音痴”の人にとっては、天津観光では確かに腹立たしい思いがする。
天津人はにぎやか好きで、親切で、例えば道を尋ねると、多くの人が取り囲んでのぞき込み、てんでに話しまくるから、尋ねた人はその場で感動したり、茫然としたりする。天津の飲食は品数が豊富で値段も安いから、多くの北京人が、週末の例会をわざわざ天津に来て行い、買い物したり、美味しいものを食べたりする。天津の「狗不里包子」「大麻花」「耳朵眼炸糕」はどれも値打ちのある一品だ。
天津人のおしゃれな装いは色あでやかで、この点は私は日本の大阪人と良く似ていると思う。
特に歳をとった婦人は新年と節句のたびごとに、赤いのをはおり、緑のをかぶるのが好きで、友人が以前、「天津の女は大胆に舞台衣装を着て街を歩く」と冗談に言ったが、私はそうではなくて、それは祝日のめでたさを一層際立たせる、天津人の朗らかな性格がはっきり示されていることだと思う。

月曜日, 1月 07, 2008

云南的春天

                蝴蝶和蓟

うん、何?

うん、何? これ何?
この写真は以前、雲南の棚田のある村で見た路傍の石神です。
きのう県民会館で上映された映画「うん、何?」を見ました。
映画は平田出身の錦織良成監督」の作品で、
“その他の出演”も含めて地元の皆さんが全面的に協力した作品です。
僕からみると、少しもドラマチックな内容ではありませんが、
故郷の町や母校(高校)が舞台になり、
その故郷の歴史を背景にした物語で、ふと涙しながら鑑賞しました。
僕は以前から 「出雲人(あえて出雲の国)は日本人の中でも控えめ
なのではなく、出雲人の性格こそが日本人を代表している」と思う
一人なので、この映画が語ろうとする“心”を、嬉しく鑑賞しました。
もうすぐ桜が咲くころには、
この雲南の春の自然の美しさに浸れることができます。
もし良かったら一緒に撮影にいきましょう。 「うん、何?」
(雲南出身の一人より)

火曜日, 1月 01, 2008

新年好!

2008年1月1日朝。
初雪の我が屋根から茶臼山を望んで、
新年おめでとうございます。
お互いの健康と新年の平穏を祈り、
本年もよろしくお願いします。

新年好。
祝您健康,家庭幸福,工作顺利。
我的目标是中文考试二级及格。
真不好意思,但是一直到最后都决不死心。
新的一年里也请多多指教。

水曜日, 12月 19, 2007

西藏高原的孩子们

好久不见了。
本当に久しぶり発信!
これはチベット高原で出会った子供たち。
あれからもう4年が経った。今どうしてるだろうか。
(どうせ通じなくても)もっと会話してみれば
良かったな、と今頃つくづく思う。

土曜日, 12月 01, 2007

江户和东京 (结束)

在东京装着玻璃的摩天大楼很多。
那个玻璃窗的墙面上映出旁边的高层建筑。
东京的变化很快,
但是,大楼群远下面有江户时代的寺院。


国立新美术馆的门厅,墙面是全面装着玻璃的。
全面ガラス張りの国立新美術館ロビー。
随所に名胜古迹(名所旧跡)を残しながらも
東京の変貌ぶりは著しい。
「一極集中」という想いも一層強くさせた。

月曜日, 11月 26, 2007

江户和东京 Ⅱ


二重橋の内側から皇居外苑の方向を眺める
機会をいただきました。

愛宕神社の石段。86段を一気に馬で駆け上がり、
時の将軍のお褒めに預かった侍にちなんで
「出世の石段」と呼ばれた。
早朝の石段には喧騒は聞こえなかった。


江户和东京

好久不见了!
久しぶり東京に行って来ました。
歌舞伎座では恒例の「顔見世大歌舞伎」を興行中↑
聞けば歌舞伎は11月が正月だそうで。

上演中は撮影禁止なので、休憩中の館内を↑

東京メトロ(千代田線)乃木坂駅構内から
エレベーターで誘導されるままに上ると、
そこが国立新美術館。あの黒川という方の設計。
新美術館で展覧中の、オランダの画家
フェルメールの「牛乳を注ぐ女」という作品。
あなたも何かで見たことがあるでしょう。
一度見たかった作品でしたが、幸いにも
ちょうど日本での初公開を鑑賞できました。
(念のため、これはポスターの写しです)




水曜日, 11月 21, 2007

"碧云湖"的晚霞

                 07·11·17 日没寸前
おい、そろそろねぐらに帰らないか?
いつまでも夕焼けに見とれてると、
真っ暗になっちまうぞ!
それにしても人間どもは、
今ごろになって、わざわざ
“夕日を見る場所”なんてのを
つくるんだから、やっかいだね~
そう、きょうもたくさんの人が来てるわね!

月曜日, 11月 12, 2007

布达拉宫

(突然思い出して) 04.8.16 旅行滞在中の中国
西藏自治区的首府· 拉萨=チベットのラサ市内で。
ジョカン(大昭寺)の屋上から、ポタラ宮を眺める。
大昭寺はチベット人の巡礼の代表的な聖地で、
正門前では五体投地する巡礼者の姿が絶えない。
ポタラ宮は、あのダライ・ラマが住み、政教両面に
わたって執行したところです。

火曜日, 11月 06, 2007

日本的祭礼~氏神さんの遷宮(せんぐう)


お母さんが頼まれて団地会館の床の間に生けた、
お祝いの花。

わが団地の奉賛会有志が造った祝い舟。酒樽と、
撒餅するための餅を入れた俵を載せている。

この舟を曳きながら参拝の行列をする団地の人々。
私も法被(はっぴ)を着て歩いたよ。


新しくなった本殿。これらを建て替えるために、
神様にいったん仮の社殿に移っていただくのを
仮遷宮、新しい本殿にお帰りいただくのを本遷宮
とか正遷宮という。


神官の方々も、この日は特に神妙に・・・

待望の餅撒き。わが団地の奉賛会長さんも撒き手の
一人となって、裃(かみしも)姿で、いささか得意そう。
それにしても、ホントにたくさんの人々がお参りし、
「津田村」にもこんなに人がいるんだと嬉しくなったよ。
       ◇       ◇
松江市東津田町にある鷹日神社の正遷宮祭が
11月3,4日に行われ、東光台からもお参りした
様子を、ちょっと紹介してみました。
(2007.11.06)























月曜日, 11月 05, 2007

重新发现了市内的美丽风景

秋高气爽的某一天,
我们在市内出去散散步,
在路上,顺便去日本茶的喝茶馆,
边喝绿茶边看了这个风景。
从窗户看到的风景是真的美丽!
一时,重新认识了“水乡松江”的风景。

正面的树木名字是せんだん(栴檀)=おうち(楝)=檀香。
黄色的果子是特征。

水曜日, 10月 31, 2007

天高马肥秋天

天高马肥的秋天 → 天高く・・・
天不造人上人,亦不造人下人 → 天は人の・・・
お~い、みんな元気か!
健康第一で頑張ろう!

火曜日, 10月 30, 2007

芒草的山路

                      ススキの峠道
裏大山から上蒜山を一望できる、鬼面台(きめんだい)と呼ぶ
展望所に初めて足を止めた。二つの小高い丘が、女性の胸部
を想起させたことから名づけられたという、にしても鬼面とは勇
ましいが、ススキの原は暖かい陽射しに映えていた。

金曜日, 10月 26, 2007

秋天的颜色 (结束) 

                         芒草
大山からの帰り、友人宅から“下山”して間もない
ところで、逆光の夕景に出会いました。
美しい!と、思ったように撮れないのが常のこと
ですが、美しい!と思ったことを思い出すことが
できるのも、瞬間を捉える写真の良さでしょうか。
 先日、写真家の先達の方々に作品の見方に
ついてお話を聞く機会がありました。その中で
「この写真は何を伝えようとしているのか」という
ことが大事と聞きました。
 私は、とかく絵はがき的傾向から脱しませんが、
それはそれで、自分に楽しく撮れることが先だと
思っています。

水曜日, 10月 24, 2007

秋天的颜色 4


    <上的照片=中国·四川省九寨沟的海子>
    <下的照片=我家院子里的“秋明菊”>
 ㊦ いま我が家の庭で咲いているシュウメイギクです。
この花が咲くと、中国の九寨溝(きゅうさいこう)を思い出します。
  去年の初秋、初めて彼の地で渓谷の景観を堪能している時、
目に入ったのが、この花でした。秋明菊は中国原産だそうですから、
あって不思議はないのですが、向こうでは我が家の庭を思い出した
りして、遥かな地にも親しみを覚えたものでした。
 ㊤ その山の奥には、中国語で海子(ハイツ)という湖(みずうみ)
が幾つもあって、どの湖も神秘的な色をたたえていました。
そこは、あの世界自然遺産なのです。

<ピンク色の花の蕎麦について>

24日付けの新聞に、島根県雲南市にあるピンク色の蕎麦畑が紹介されていました。ネパール原産種の蕎麦を日本で品種改良したもので、ルビーの赤い色をイメージして「高嶺(たかね)ルビー」と命名。
収穫量が普通の蕎麦より3分の一以下なので、主に鑑賞用に栽培され、花は今月いっぱい楽しめるそうです。

火曜日, 10月 23, 2007

秋天的颜色 3

珍贵,粉红色的荞麦旱田。
珍しいピンク色の蕎麦畑。
散策の最後に、夕日に映える美しさと出会い、
いろいろ案内してくれた友人に感謝しました。






月曜日, 10月 22, 2007

秋天的颜色 2


              <上的照片> 「ななかまど」 (花楸树;七度灶)
               <下的照片> 「りんどう」  (龙胆)
                       ◇
㊤山麓の友人宅の木造りのベランダから「ななかまど」の大木を見上げました。
秋の陽に映える赤い実の数々が今にも溢れ落ちそう。「ななかまど」は林間の
あちこちに見られ、辺りの秋色を盛んにリードしているようでした。
㊦散策する足元には「りんどう」が点々と咲き並んでいました。
自生のそれは本当に素朴で可憐な青紫です。
私は歩きながら、ふと口(くち)ずさんでいました。
・・・♪りん りん りんどうの こむらさき~♪・・・
たしか島倉千代子さんの一節に、こんなのが・・・
私も古いか!? ま、いいものは、いいですよね。

秋天的颜色

絶好の秋日和。
山麓の友人に誘われて散策の途中、
出会った午後の風景です。
残しておきたい“秋の色”がありました。

火曜日, 10月 16, 2007

三江线


联结岛根县西部和广岛县北部的三江线。
为去年发生的水灾,所以以后停运了。
但是,居民的愿望实现,今年夏天,时隔一年运行再开。
穿过群山和山谷的铁路沿线地区的风景是悠闲的情况。


茶会的石墙


一年一度的秋天大茶会。
松江城的石墙作为背景的在室外点茶,
心情安宁,感觉历史和传统,喝茶的味道是别有滋味。


山の湖畔にて

お元気ですか! 暑かった夏のひと時、山の湖畔は清涼だったね!
また行ってみたいね♪

木曜日, 10月 11, 2007

家郷的風景




好久不見了!
真的、お待たせしました。2カ月ぶりに発信します。
熱い夏でしたね。その熱い夏がまだまだ抜けない先月下旬、
我が家に欧州から大切な客人が来ました。
わずか3日間の滞在なので、どこへ案内しようかと迷うことなく、
ふるさとの代表的なところだけを案内しました。
松江城からの遠望、宍道湖の夕日、足立美術館の庭園と日本画、
大山の雄姿、荘厳な出雲大社、日御碕の日本海・・・
当地では見慣れた名所と風景に、彼女たちはとても喜んでくれました。
天気が良かった、というより暑すぎるくらいでしたが、その分、特に
宍道湖の夕日などは願ってもないチャンスに臨むことができ、
彼女たちは、その場に、しばし座り込んで感動していました。
案内した我々も、ふるさとを見直したことでした。
なるほど、宍道湖の夕日スポットも良いアイデアでしたが、
そこに在る景色は古くから在ったものでしたし、お城だって、当時の
時代背景はともかく、残してくれた人たちが居たこと等々・・・
外国の客人を案内して、改めて我がふるさとの“良いところ”を
誇らしく思ったことでした。



木曜日, 8月 30, 2007

2007夏天的回忆 






              早や8月が終わる~この夏の思い出に
                ㊤天空の駅㊥雲見の滝㊦ひまわり畑

光阴似箭! 已经八月结束了。
所以,我介绍一下今年夏天的回忆。

㊤天空之站(8月14号)
 从岛根县江津市到广岛县三次市的铁路是“三江线”。
 由于去年夏天的水灾,造成铁路多处阻断,时隔一年运行重新开始了。
 这里是一种这条线路的站,在山间高架上有的。 
 好像“天空之站”。
㊥日语叫“云见瀑布”(8月13号)
 以前我介绍一下了,在我家乡有的瀑布。
 在这里,真的,非常凉快!
㊦向日葵(8月15号)
 在斐川町出云机场附近有的农田。
 别名叫“太阳草”,这日子也顶着酷暑好多花盛开。
今年夏天真的炎热不减,但是再忍一会儿就好了。
                   (07, 8,31) 

火曜日, 8月 28, 2007

あかりの海~











07夏、初めて行った海、とても楽しかった。
おばあちゃんの目が、いつもよりも細くなって、
みんな嬉しそうだった。
  とってもかわいい孫! 誰の孫?・・・
今年的夏天,这个小孩子是出生以后第一次来海水浴,非常快乐。
她奶奶看着孙子的成长笑眯了眼,大家很高兴。
   
  很可爱的孙子! 是谁的孙子?
                    (2007,8,28)





木曜日, 8月 16, 2007

九寨溝とこどもたち

九寨溝とこどもたち

九寨溝を訪問したときのことを、胡斌老師と共に発表させて
頂いた時の様子を、「Wangの部屋」に紹介されました。

水曜日, 8月 15, 2007

每天闷热! 你过得怎么样?

( 好久不见了! 时隔一个月以后写博客。)
每天闷热,所以我介绍凉快的地方。
这里是我家乡,云南市三刀屋饭石有的“云见瀑布”(雲見滝)。
盂兰盆节时候,我家人去家乡扫墓。那时,我们来了这里。
这一天也闷热,在松江市气温升到了37·2度,
所以,在这里我们觉得很凉爽。